高校 政経・倫政の補習講座

大学入試に向けた知識、学んだことと生活を結びつける知恵を提供します。

2020年03月

続いて、大学に行く必要がある、行った方がよいという主張を見ていきましょう。

 

 ①一見役に立たないことにも価値がある。

 

 先ほど、大学でしか学べない知識や情報は多くないという指摘をしました。

 職業と学科が結びついたマストの職業をしている人や研究者などの一部の仕事はちょっと別ですが、大多数は大学で学んだことは職業、仕事に直接の役には立ちません。

 ところが、大学生というものを経験した人のほとんどが「でも大学生活には大きな意味はあった」と考えています。その大きな意味とは人によって違いますが、自分や他者に対する見方や人間関係に関わることを学んだからです。これらは知識や情報とは違います。時間があったゆえに無駄というか、回り道して得たものがあるのです。

 大学生でyoutubeやブログをしていて、たくさんのフォロワーや熱心な読者がいるケースがあります。彼らが伝えているのは大学の授業で学んだことや実用的な知識ではなく、授業外での誰かとの出会い、旅先で考えたこと、自分を成長させた出来事について表現しています。

 また狭い世界で恐縮ですが、授業中、先生方が自分の経験を話すことがあるでしょう。一見くだらない、無駄とみなせることもできますが、概して生徒さんへ伝える知識に立体感を与えています。雑談の方が覚えているくらいです。授業中でなくても構いません。ある先生は学生時代にオートバイで全国を走り回っていた、ある先生はライブハウスで歌っていた、劇団に所属して公演していた、それは大きな無駄です。きっと、保護者の方も心配したでしょう。でもその無駄がなかったらその人独特の個性も生まれなかったはずです。生徒に、詳しく、効率よく知識を伝える技術は必要でしょうが、それだけを学んできた教員がよいとは限らないのではないでしょうか。では何がよい教員の要素なのか。これについても深入りしませんが、どのような職業であっても知識や情報、技術以外の、抽象的な表現ですが、幅や広さ、温かみが「こういう人と一緒に仕事をしたいな」とか「欠かせない人だな」を生んではいないでしょうか。

 無駄なことをするには、専門学校や短大では時間が足りないのです。

 もちろん反論もできます。大学時代よりも就職したあとの方が時間が長いのだから、働きながら幅や広さを身につけることは可能ではないか、という反論です。それは可能です。可能ですし、否応なしに入っていった業界に染まっていき、それまでの自己は変わっていかざるを得ないでしょう。ただ、オートバイで時間を気にせず全国を回るような無駄、若いがゆえにできる無駄ができるかというと、簡単ではないと思います。

 

 ②就職しやすいし、望んでいる仕事に就きやすい。

 

 高卒からでも大卒からでも就ける仕事があります。看護師や警察官、保育士などが代表的です。次の図は看護師になるための道筋です。
スライド10
 その仕事に就くために複数の方法があり、高卒でも大卒でもよいのです。ちなみに教員の世界でも高卒でもなれる職種や、高卒でも小学校教員資格認定試験という一発試験があります。

 4年制大学の看護学科に受からなかった場合に、看護系の短大や専門学校に進学する例がありますし、警察官の方は採用試験でⅠ類で合格するのは難しいので、高卒でも受験できるⅢ類で合格し警察官になっていく大卒の人がいます。面接練習をしていると「技術が信頼されるだけでなく患者さんの気持ちをくめるような看護師に」とか「住民の安全を守ることはもちろん、よろず相談の相手になれるような警察官に」と気持ちを教えてくれて、頼もしく感じます。学歴にかかわらず、患者や被害者にとってはプロの一人、いずれも現場においては看護師や警察官としてやりがいを感じながら仕事をしていくんだと思います。

 看護師の場合はお給料、賃金も高卒でも大卒でも大きな違いはないようです。月に1万円も違わず、夜勤による手当の方がお給料に違いをもたらします。

 では、これらの仕事の大卒のメリットは何でしょうか。なぜ高卒でも就くことができるのに大卒がいるのか。

 まずは、管理部門への可能性の違いです。俗にいう出世の可能性です。若い今はそんなことはあまり考えないでしょうが、年を取ってから管理職や指導する側になろうと考えた際には大卒の方が容易です。

 他にも看護師でいえば求められる技能が高度化、専門化していることがあげられます。看護師に求められる役割は増えており、従来の助産師や保健師だけではなく、専門看護師、認定看護師、認定看護管理者、訪問看護師など資格が増えています。これらの資格を取る際には、知識や技能面、仕事との両立を考えても大卒や大学院卒の方が取りやすい面があります。


スライド11
 これらの、高卒からでも大卒からでも慣れる仕事の実際面は、ネットで得られる情報は十分ではありません。公の機関のHPは本音がわからず、個人のHPやこういうブログは信用度が薄い。

 それよりも保育所や警察署、病院に電話してしまう方法もあります。「○○と申しますが、進路で迷っているんですけど、大卒の保育士さんと話をすることはできますか」、「大卒で三種で警察官をやられている方に伺いたいことがあるんですが‥」、もちろん忙しくて断られるところや時間帯もあるでしょうが、話を聞いてくれるところ、人は必ずいます。直接現場に電話するのがためらわれるなら、県警の広報、県看護協会やナースセンターなどに問い合わせてみましょう。大切な進路選択ですから、遠慮せずに動いていいんです。


 それとは逆に、世の中には、大卒でないと就けない仕事や職業があります。

 資料は人気企業ランキングで上位に来る企業の求人欄です。見てみると、採用試験に応募する条件として、大卒に限定しているか、「同程度の学力」が求められています。

スライド13

 

 「厳格な条件ではないにせよ、『原則大卒じゃないと』『大卒が前提』という暗黙の了解がある場合は、大卒者でなければまずシャットアウトされてしまいます。」

   

 「そして、『原則大卒じゃないと』『大卒が前提』という仕事や職業は、概して労働条件のいい、働く側に易しい仕事や職業であることが多いのです。」

(浦坂純子 『なぜ「大学は出ておきなさい」と言われるのか』 )

 

 大学で学んだことが直接は役に立たないにも関わらず、です。なぜそうなるのでしょうか、実力があれば高卒だろうが、大卒だろうが関係ないような気もします。

 雇う側から考えてみましょう。採用担当者が時間や費用をかけて、学生一人一人の実力を調べるのは容易ではありません。学生は就職活動用に表現を仕上げてきますので、見抜くことは難しい。人気企業であれば大卒だけでも希望者はウジャウジャいるので、なおさらです。雇う側がかけられるコストには限りがあるため、大卒から採用ということになるのです。大卒から採る意味について先ほどの筆者の浦沢氏は、次の図のように2つあるといいます。


スライド20

 このように、雇う側は大卒の方が学生時代に力を付けたはずと考える「人的資本論」や、少なくとも大学入試を突破するだけの力を持っていると考える「シグナリング理論」等の考え方に基づいて、またそうした考え方で今まで新規採用してきて、おおむねうまくいっているという経験から採用方法を決めているのです。そうなると高卒や専門学校卒、短大卒は門前払い、就職試験を受けるチャンスさえありません。

 

 本来そうあるべきかはわかりません。企業は手間暇やコストをかけて大卒だろうが、高卒だろうが一人一人の実力を見極めるべきなのでしょうか。

 細かい話をすれば私企業がどんな人を採用するかは私人間(しじんかん)といって、各企業と雇われる側の契約、採用方法は事実上、企業側に任されています。極端に言えばある企業が「大卒からしか採用しない」とか「A大学とB大学からしか採用しない」とすることは、公的機関が行えば明らかな差別ですが、私企業がおこなっても憲法の平等権には反するとは限らないのです。

 

 ③賃金が高い。

 

 資料は生涯賃金です。
スライド21

 数字は就職した事業所の規模にもよりますし、大卒なら就職が約束されるわけでありません。またこの傾向が今後続くのかもわかりませんが、平均すればこのような違いになります。

 傾向としては大卒と短大(専門学校)卒では男女とも約4000万円近い差があります。高卒なら早くから働きはじめて収入が得られ、また、入学金や学費などの支出も抑えられます。しかし、現在の統計ではトータルでは逆転します。この生涯賃金の差は、逆に言えば大学へ行くのにお金がかかるといっても、そのかかるお金が4000万円以内なら元が取れる、いずれは逆転すると計算上は言えるわけです。

 繰り返しますが、この差は就職した事業所の規模や職種によるのであなたが4年制大学を出たからといって約束されるわけはありませんし、専門学校卒なら賃金はここまでと上限が定められているわけでもありません。先ほどあげた「大卒でなくて活躍している人」のなかにも、宇宙旅行を予定していたり、彼とのお見合いの申し込みに2万人以上集まった資産家もいました。あくまで一般的な傾向です。

  

 とはいえ、人は給料のためだけに働くのではありません。次の図は「働く目的の三本柱」。人が働く時、どれを重視するか比重は人によって異なっているとしても、その目的は主に3つあることを示しています。あなたはどれを重視するでしょうか。
スライド22


 世論調査では、日本では3つのうちどれが重視されているのか、下の図のようになっています。

 スライド23
 帯グラフ中の右側、「自分の才能や能力を発揮するために働く」と「生きがいをみつけるために働く」の2項目が上の三本柱の「生きがいや自分を活かすため」にあたります。

 この国では、多くの人はこのように考えているわけです。約半数がお金を得るためと考えていて、意外と多い印象を受けます。

 

 

 すこし回り道します。三大宗教の経典は、お金に関しては次のように説いています。

スライド25
 いずれもお金を目的に暮らすことを戒めています。三大宗教とは信者の数ではなくて、発生した場所を越えて世界へ広がっている世界宗教を指しますから、広がるだけの理由を持っているはずでしょうし、現代でも各人のアイデンティティの形成やいくつかの国の政策へ影響を与えています。三大宗教いずれもがお金を目的に暮らすことを戒め、分け与えたり、お金に執着することなく慎ましく暮らすことを求めているのは、人間生活とお金の関係は古くから濃い課題があることをうかがわせます。

 多くの漫画やアニメでは、お金に執着するのは悪者、というか主人公に敵対するキャラクターとして配置されます。主人公はお金を目的には活躍しない、どうやって生活しているのか不明なほど、お金のにおいがしない位置づけがされています。

 例外的なキャラクターもいます。ルパン三世やルフィがそうです。泥棒と海賊ですから。しかし彼らもお金そのものに執着しているというよりは、困難を軽やかに乗り越えることがテーマになっている気がしています。

 
 お金への執着が悪のイメージで扱われていることがわかりました。では、お金のために働くことは、よくないことなのでしょうか。お金は手段であって目的ではなく、お金より大事なことがあるのは間違いありません。お金と働くことの関係について、ある人は次のように指摘しています。

 

   「金銭を手にすることと、お金で買えないものがあることとは、排他的に対立し合うのではなく、むしろ大きく重なり合うのだという点です。私たちは多くの場合に、金銭の所持を通してお金で買えないものを実感できるのです。」
(小浜逸郎 『人生のちょっとした難問』 2005年 洋泉社)

 

 筆者はお金を得ることとお金より大事なことは、どちらかを選ばなければならない対立関係ではなくて、お金より大事なことも、お金を所持していてはじめて生じる、と指摘しています。途上国には飢餓や栄養失調、児童労働が見られますが、背景にはお金がないこと、貧困があります。あまり深入りしませんが、物乞いをするために、赤ん坊がレンタルされていたり、自分の赤ん坊の手足を切り取る国が存在します。

 国内でも貧困、お金がないとこんな暮らしになります。

   

 「お金に余裕がないと、日常のささいなことがぜんぶ衝突のタネになる。食べたり着たりどこかへ行ったり、そういう生活のひとつひとつのことにぜんぶお金が関わってくるからね。お金がないと、生活の場面のいちいちでどうしても衝突が避けられない。

     それも何十万、何百万って話じゃない。何万円、何千円の話で激しいいさかいをする。たったそれっぽっちの金額でののしり合う、この情けなさが、わかる?」

   

 「子どもたちは、何日も風呂に入れてもらってないから、垢(あか)でうすよごれて真っ黒。笑うと虫歯で歯がないし、服もよれよれ。歯医者に行かせる余裕なんかあるわけないし、服もおさがりの、おさがりの、そのまたおさがりで。…(中略)…ないけど、ないままってわけにもいかないってことで、手癖は悪いは、デビューは早いわ、先を争うようにして不良になっちゃう。」

     

『いちばんほしいもの』がお菓子だった子どもも、ちょっと大きくなると、女の子なら服や化粧品になる。気に入った服を試着したまま、店から出てきちゃうわ、化粧品も『これ、試供品だから』ってごっそり持って帰ってきちゃうわ。

     男の子なら、ガソリンを盗んだり、シンナーを盗んだりは朝飯前。ガソリンはもちろん、よその車からの『おすそわけ』。誰かが見張りに立って、別の誰かが知らない人の車の給油口にゴムホースやチューブを突っ込む。で、ストローみたいにして、口でキューキュー吸い出すの、ガソリンを先輩の車にそうやって燃料を調達したら、それを乗り回して朝まで遊ぶ。」

       (西原理恵子 『この世で一番大事な「カネ」の話』 2008年 理論社)

 

 国内の貧困は見えづらい側面もありますが、この著作が発行されたのは2008年、筆者が幼少期、おそらく1970年代を振り返った記述です。少し古く感じるかもしれませんが、このようなお金がないことによる子どもたちへの影響は、今も昔も変わりません。ちょうど2008年はリーマン・ショック、世界金融危機がおきた年で、この不況の影響は今もあって、国内の貧困率が上昇、少年犯罪や児童虐待、育児放棄やこども食堂などの現象につながっています。貧困と関連しているのです。身近にも「家は経済的に厳しいので修学旅行には行けません」とか「進学することは経済的に無理です」という家庭は存在するのです。

 こうしてみてくると、「お金なんて関係ない!」と言えるのは、もしかしたら、そう言っている人の状況や境遇が、お金に関して深刻には困っていない、「お金なんて関係ない」と言える程度にはある、という可能性が高いです。お金以外に大切なことがあるのは間違いありませんが、お金も大事なのです。

 スライド32

 大学に進学すべきかどうか、見てきました。もう一度、専門学校との比較を整理して載せておきます。


スライド34

 こうして見てくると、大学へ進学すべきかだけではなくて、社会に出て「活躍する」とはどういうことか、人は何のために働くのか、お金に関してどう考えたらいいか、など簡単に答えが出ない問いとも関わることがわかりました。進路を選ぶことはたいへんな決断です。と述べつつ、矛盾するようですが、でも損をしたって生きていける、何とかなるさ、とも思います。 

 最初にも述べたように、「大学に行く必要があるのか」、フェアに記述できたかはわかりません。ですから、あなたの納得いく答えに近づいたのかもわかりませんが、何かあなたの進路選択に参考になることがあったら嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

そもそも大学に進学すべきか迷っている皆さん



 「大学へ進学することに疑問を持っているんです。」

 「専門学校でも同じ資格が取れるので、そちらでもいいと思っています」

 「大学に行くのをやめようかと思っています」

という声を聞くことがあります。

 それらの疑問にすこしでも応えられたらと思って、大学に行く必要はあるのかをまとめてみました。

 ただ筆者である私は大学を卒業し、そのことを後悔していませんのでフェアに記述できるかわかりません。その分は差し引いて考えて下さい。また多くのことがそうでしょうが、読みたくない、避けたい箇所があなたの琴線に触れています。そこのモヤモヤと向き合って下さい。

 それぞれの根拠を整理すると下のようになります。

 スライド3

 行く必要はないという主張から見ていきます。


 ①学ぶ場所は、他にもある。

 学ぶ場所は、大学以外にもたくさんあります。独学で本から学べることもあるでしょうし、地元の公民館やカルチャーセンターでも学ぶことができます。特に現代はインターネットの影響力が大きく、ネット上には日常の知りたいことから論文まで掲載されていますので、何かを学びたい時に知識や情報が得やすい時代です。大学生自身がネットから情報を得てレポートを書いたり、卒論を作成することもあるので、逆に「大学でしか学べないことって何だろう」と考えさせられます。

 ただ、大学で学ぶこととは知識や情報に限られるのか、またあなたが仮に探究したいと考えたそのことが大学以外の場所でつきつめられるのかなど、保留したいこともあります。が、ほとんどのものは大学以外でも学ぶことができるのは間違いありません。


 ②学んでいる内容が仕事の役に立たない。


 卒業後は多数の人は働くことになるでしょう。その時、出身の学部や学科に関連する仕事をする人もいるでしょうが、そうとは限らないケースもたくさんあります。

 進学に際して、「将来の夢がかなえるためには、この学科でなくてはならない」というマストの学科があります。歯科医師になるためには歯学科に入学しなくてはなりません。医学部医学科、獣医学部獣医学科、薬学部薬学科などは、細かく言えば他にもルートがあるのですが、事実上はマスト、その学科に入学しなければその仕事に就くのは難しい。文系でも法曹(裁判官や弁護士、検察官)になる人はほとんどが法学部です。

 一方、逆に言えばそれ以外の仕事は、どこの学部・学科に入っても自分次第で就くことができます。特に人文系や社会科学系の学部は進路は限定されません。とすればある学科に入学して学んだことが直接の役には立っていないことも指摘できるわけです。

 下の図はある大学の心理学科の進路先です。
スライド4


 大学では心理学を中心に学びながら、実際の就職先は多岐にわたっているというか、直接は関係のない進路先です。これらの企業に心理カウンセラーなどの誰かの心のケアに携わる職種で入社できる人は稀です。心理学科を目指している生徒さんはショックを受けるかもしれませんが、心理学科がこの傾向が著しいのです。人の心に興味があって、けっこう難易度や倍率は高くて入学し、それを学んできたのに就職には関係ない。もちろん就職してから、人の心を学んできたことが役に立つ場面はあるかもしれませんが、雇う側は学部で心理学を学んできたことをプラスとはみなしていないのです。

 蛇足ですが、掲載した大学は就職先を分類してこのように円グラフで掲載しています。多くの大学は円グラフを出しません。取得可能な資格や過去5年分のなど中期間の企業名を並べているだけです。受験生に「心理学を学んでも、それをいかした就職は難しい」ということをまるで知られたくないかのようです。心理学部や心理学科で単年度の円グラフを掲載しているところは良心的といえます。

 心理学部や心理学科ではなくても、話は同じです。学ぶ場所は大学以外にもたくさんあり、学んできたこととは直接関係ない方面へ就職するとすれば、大学へ行く必要があるか、さらに大学へ通うとなると入学金や授業料、下宿する場合には生活費もかかります。たくさんのお金を使いながら、元が取れたのかを考えると疑問が出てくる方がむしろ自然のような気もします。

 専門学校への進学を考えている生徒さんもいるでしょう。

 次の資料は、ある専門学校のHPやパンフレットです。一般に専門学校はHPやパンフレットづくりが大学よりも先行していましたのでわかりやすいメッセージを発しています。

スライド7

スライド8

 専門学校のパンフレットを見ると、大学をライバル視というか「大学よりも実用的」、「即戦力」、「確かな技能」、「夢へ直結」というような表現が多くなっています。

 少子高齢化の時代ですから、専門学校は生き残りをかけて、学生たちに確かな技術を伝授しています。資格を取得する専門学校なら合格率が大切になりますし、学生が望む就職先を毎年確保することも大切になります。よって、自信がある専門学校はそれらの数値を毎年公表しています。

 学生たちはきちんと技能を身につけるために厳しい毎日を送っています。先生方も学生が技能を習得するためキッチリ仕上げようと情熱的です。この密度の濃い時間は多くの大学生とは比較になりません。

 先ほどHPを見た学校ではありませんが、それら取得率、合格率など数値をよく見ると、例えば「資格試験の受験者は30人、合格者は27人で合格率90%!」は間違いないのでしょうが、確かそのコースの入学者は50人いたはずなのに受験者が30人?と気付くことがあります。厳しくて辞めていった?成績が悪い子は受けさせてもらえない?推測はいろいろできますが、それくらい厳しい世界なのです。
 この資格の取得率の手法は短大や大学でも用いられていますので、メディアリテラシーというか注意が必要です。もし学校説明会やオープンキャンパスに行く機会があったら、直接聞いてみて下さい。「この高い合格率は全員が受験しているのですか?」「この企業へは毎年就職できているのですか?」と。

 もう一度、HPに戻ります。下の方に「たくさんの専門知識が学べるので、大学生よりも一歩前に出られます。就職するときにスタートラインが違うのは大きな自信にもつながります」という表現があります。短い期間で学び、大学生よりも早く就職しますのでスタートが早く、実務経験も積み重なるでしょう。まったくその通りです。
 ではあとから入ってきた、大卒者とのスタートラインの差は縮んでいかないのでしょうか。給与面はもちろん、技能面でもです。このHPは他のページを見ても内容、実績面でも信頼できそうな学校です。それでも、伝えていないこともあるのです。

 別の話。ペット関係の専門学校を出たのに、求人がないためペット関係の仕事に就けないと聞くことがあります。ペットショップは大規模なところは少ないわけですから、誰かが辞めないと求人がありません。また、いくつかの転職サイトを見ると「新卒のパティシエの離職率は1年以内で約70%、3年以内で約90%、10年以内になると約99%」などと出ています。どうも早朝から深夜まで下積み仕事ばかり、あんなに苦しい思いをして学んだことをいかす見通しが立たずに疲弊してしまうようなのです。スポーツ関係の専門学校も同様の傾向がありますし、また40歳、50歳になった時の収入や体力が持つか心配も残ります。

 専門学校を考えているみなさんは、技能を吸収していくことは間違いないと思いますが、その業界の実態や見通しなど、少し先のことを考えてほしいのです。入学後に厳しさがあるのは覚悟の上でしょうが、入試の難易度は高くないことが多いのですから、その分、業界選び、学校選びは時間をかけて探究して下さい。 

 蛇足かもしれませんが、こういうケースがないか心配しています。大学を目指していたけれども、受験勉強が苦しくて専門学校や短大を考えてはいないかどうかです。私も高三の時だったと思いますが、言い出したことがあります。恐らく受験で苦戦していたんでしょう、そんな時に、偶然、専門学校のパンフレットを目にしました。目にしましたというか、目に入るようになった。恐らく人はそれまでも同じように存在していたものでも、ある状態の時には視野に入らず、ある状態になると視野に入ってくる。確かパイロット養成の専門学校だったと思います。パンフからは自分にとって楽観的な解釈しかしないままその気になっていきました。国家試験に受かった割合だとか、パイロットとは事業用なのか、自家用なのかなどよく見ないまま、卒業すれば国際線のジャンボのパイロットになれるかのように思い込んでいきます。今から思えば熱病のようでした。その熱病がどうして醒めたのか思い出せません。母親から何か言われたような、友人に怒られたような気がしないでもありませんが、思い出せません。

 ただ、熱病のまま進路を決めなくてよかったと思っています。あの時は苦しみから逃れるために言い出していましたし、しかもそれは何か他人から羨ましがられるというか、一目置かれるような職業、自分が他人からどう見られたいかばかりを意識した選択をしようとしていたからです。

 杞憂であればいいのですが、もしあなたの選択がかつて私がそうなりかけたように、逃げであるのならとどまってほしい。逃げなくてはいけない出来事は世の中には存在しますが、そういう状態でないのなら踏みとどまってほしい。なぜなら…なぜなら後悔するから。しかも、ずっと引きずっていかなくてはならない後悔になるからです。大学に行かなかったことに引け目や劣等感を感じて、高校卒業後には連絡も取らない、同級会にも行かないというような例があると聞きます。そうはなってほしくないのです。

 逆に、そうではないなら、つまりここで述べてきているような心配やデメリットを理解した上で、大学に行かないのなら、あなたは大丈夫、安心です。

 専門学校や短大ヘ入学が決まったあとも、勉強を避けずに卒業まで熱心に学び続けた先輩たちがいます。最も自分が伸びる時期だと知っているからなのか、入学後も見すえているからなのか、何ごとも手を抜かない姿勢なのかわかりませんが、きっと信頼される仕事をしていくでしょう。自信を持った選択をしたのなら、コンプレックスを持つ必要は全くありません。


 ③大卒でなくても活躍している人はいる。


 大卒でなくても活躍している人はたくさんいます。そちらの方が多い業界もあるでしょう。次の図はネット上に掲載されている例です。見てみると、誰もが聞いたことがあるような勢いのある企業の経営者がいます。


スライド6

 また、そのような華やかなというか、人目につくことが多い職業や企業ではなくても、活躍している人がいます。私たち公立高校の教員は他の職業と接する機会はあまり多くありませんが、それでも何かの折に接する他業種の方で「こういう人と一緒に仕事をしたいな」とか「欠かせない人だな」と思う人がいます。

 ただ、こういう反論もあるでしょう。大卒だったり、学歴があると活躍の邪魔になるのでしょうか。学歴があるがゆえに傲慢になって、ろくでもない仕事しかできなかったり、その傾向が強かったりするのでしょうか。

 問題は活躍していることと学歴の相関関係です。「活躍」の定義にもよりますが、活躍している人たちが学歴がないことが原動力になっていたり、学歴がないことで創造力や突破力が生まれているのかなどが判明すればいいわけです。しかし、そのような相関関係や割合を示したデータは見たことがありません。やはり「活躍」の定義が難しいためだと思います。少し俯瞰してみると、給料というか賃金は社会的に果たした役割、市場における価値に応じて支払われるので、一つの指標となりますから、退職までの給料の合計額、生涯賃金がわかると活躍の度合いがある側面からは判断できます。生涯賃金についてはあとで述べます。

 しかし、シンプルに言って、問題は人なのではないでしょうか。専門学校卒でも活躍している人はいるし、そうでない人もいる。大卒でも活躍している人はいるし、そうでない人もいる。また狭い世界で恐縮ですが、私たち教員の世界でも、どこの大学を出ているかということと生徒や同僚との信頼関係に相関は認められません。「○○大学を出ている先生はみんな素晴らしい」とか、「××大学出身の先生はみんなダメ」っていう傾向はないんです。あくまで人。

 

 ④お金のためだけに働くわけではない。

 高卒や専門学校卒、短大卒の人と、大卒では給料というか、生涯賃金で差が出ることは聞いたことがあるでしょう。早くから働けば早くから稼げますし、大学生は授業料や生活費がかかっているのだからその分を差し引けば、どうなるでしょうか。

 しかし、仮に生涯賃金が大卒の方が高かったとしても、人はお金のためだけに働くわけではなくて、やりがいだとか、自分をいかす仕事について日々暮らせればよいのではないか、という指摘もできます。これについては、また「その2」で述べます。
 ここまで「大学に行く必要はない」という主張を主に見てきましたが、「その2」で反論を見ていきます。


学部・学科が絞れない皆さんへ

学部・学科が揺らぐことがある皆さん

 

 「文系・理系は決まっているんですが、学部が絞れないんです」、

 「学部は決まっているんですけど、学科が決まらないんです」

という声を聞くことがあります。

 周りの友人たちがもう決めていて、出願方法を決めたとか、もう志望学科に合わせた「赤本」を買ってやっているというような話を聞くと焦ります。

 そういえば、中学生の時や、高校へ入学してから「将来の夢」とか「将来就きたい仕事」を問われた時、「今はまだ決まっていませんが…」とその場は切り抜けてきて、先延ばしにしていたツケを、いま感じているわけです。

 

 結論から言えば、「いま絞っていなくても、短期的に損しても長期的には損しないし、それに応じた学科もある」です。

 決まらないこと、絞れないことの短所、デメリットは何でしょうか。このデメリットが自分の中で整理できれば、過度に不安がらなくてもすみます。何が不安なのかさえわからないという不安がいちばん不安なのですから。

 デメリットから見ましょう。デメリットは主に二つあります。

 一つ目。学部・学科が絞れなければ、出願先に対する情報収集が甘くなること。

 二つ目。がんばれない可能性が出てくること。

 

 少し詳しく、まず一つ目。

 大学の入試の方法や試験科目はたくさんの種類があります。
スライド2

 上の図を見て下さい。私大では同じ学部・学科であっても、多種のバリエーションがあって、一つの学部であっても把握するのは一苦労です。一つのみの大学に出願という生徒さんはあまりいないでしょうから、複数の大学を受けるとなるとなおさらで、学部・学科を絞った生徒さんにとっても簡単ではないのです。学部や学科が絞れない生徒さんの場合、そのウジャウジャあるバリエーションを調べることができないというか、調べようとするモチベーションが生まれにくいのです。

 また、入試には受験科目だけではなくて、出願方法も複数のパターンがあります。例えば総合選抜型入試(AO入試)、学校推薦型入試(公募制、指定校推薦入試)などです。これらの出願方法では例えば面接があって、

 「私は将来~になりたいと考えているので」とか、

 「そのために貴校で~の研究をしたい」とか、

と表現していく必要があります。他にも、出願に際して、大学に入学してからの自分の学習計画、「学びの設計書」のような志願理由書を課す大学もあります。

 学部・学科を絞っていない生徒さんは、これらを表現するのは難しいですから、総合型選抜や学校推薦型選抜は適していない出願方法です。出願の中心は一般選抜(一般入試)となり、受験のチャンスが少ない、といえます。

 

 次に二つ目。がんばれない可能性が出てくることです。

 もちろん誰でも時期がくれば必死に勉強します。学部・学科を絞っている生徒さんは、第一志望の大学があって、そこがもし難しければ同じ学部・学科の第二志望、第三志望と志望校を変えていきます。その変え方には同じ学部・学科という軸があります。軸があるので大きくはブレない、少なくとも最低目標の学校は合格できるように日々努力できます。併願校や第二志望、第三志望の学校をは恐らく同じ科目で受験できる学校を探すのが一般的ですが、探す作業も早いと言えます。

 少し細かい話をします。例えば将来中学校や高校の教員になりたい、そのために教育学部に進もうと考えている生徒さんは、志望の大学の候補があるだけではなく、こんな情報を得ています。中高の教員ですからもちろん教えたい教科がありますが、教育学部では副免といって、在学中に複数の教科や校種の免許が取得できるのです。仮にセンター試験(これからは共通テスト)で十分な結果が出なくて、希望の数学科に出願できなければ代わりに技術家庭科で出願して入学、在学中に副免で数学の免許を取ればいい、という備えを考えているのです。さらに、どの学科に入ればどの副免が取れるのか、大学によって違いますし、なかなかHPでは公開されていない情報です。

スライド3

 上の図を見て下さい。信州大学の教育学部のHPですが、小さい字で副免について表記されています。技術家庭科で入学したあと、どの副免が取れるのかははっきりはわかりません。先輩から口コミで聞いたり、オープンキャンパスで大学に直接聞く必要があります。入学してから「保健体育科で入って地歴科の副免を取ろうと思ったら、うちの大学では取れない。知らなかった」ということのないように、そこまで調べているのです。学科を絞れていないあなたは、このような情報収集に遅れをとっています。

 将来の仕事や興味のある分野が明確でないわけですから、志望校の選択に際して、一貫性がなくなりやすいのです。後で述べますが、必ずしも一貫性は必要ありませんが、心配されるのは「学科は広く考えよう」ならまだしも、それが「入れればどこでもいいや」「どこでもいいからとりあえず進学」になってしまわないか、ズルズルと志望校や志望学部を下げていかないかどうか、心配されるのです。

 私は社会科の教員ですが、社会科の教員になるには、教育学部はもちろんですが、人文学部や法学部、経済学部や国際学部、場合によっては農学部からでもなることができます。○○大学の法学部は難しいので経済学部へ出願とか、××大学の国際学部は難しいので教育学部へ出願ということはよくあります。沢山の学部・学科が候補に入るということになると、こちらも同じ科目で受験できる学部・学科へ出願していくことが一般的とはいえ、国公立、私立で沢山の学校がありますので、最低目標が見出しにくく、その結果、日々の努力が怠りがちにならないか、執着心が薄れないか、心配されるのです。


 不思議なもので、本番の共通テストやそれまでの模試で厳しい判定が出ているにもかかわらず、第一志望に執着してチャレンジした人のほうが、厳しい判定を受けて志望を安全に変えた人よりも、結果を出す傾向があります。もちろんこれは勘に近いもので数値やデータで示せるものではないのですが、多くの教員が経験しています。「どうしてもあの学校で学びたい」という執着心が結果を左右するとすれば、決められていないあなたは心配な面があります。もちろん第一志望にこだわりすぎて、撃沈してしまう例もありますから、第一志望へのこだわりを貫き通すべきかどうかは、頑固さと柔軟性のバランスが必要です。

 逆に言えば、答えはシンプルです。学部・学科を絞っていないからこそ、これから強い志望が出てきた時に「選べる位置にいること」、そのために学力は付いていた方がいい。絞っていないのでイマイチやる気が起きなくて…は言い訳にすぎません。言い訳という表現が嫌ならば、「やる気を起こせない、だからできなくてもしょうがないんだ」って思っているのなら、その結果は受け入れましょう。

 もう一つ、「選択肢が減らないようにすること」。受験できる学校が減ってしまわないように、苦手科目をどんどん切っていくのは得策ではありません。避けたい、見るのも嫌な科目はあるのかもしれませんが、それらを捨てるとすると、残した科目は尖ってできなければなりません。学科は絞っていなくても、科目は絞らない方がいい、ということです。

 

 大学に入学してしばらく立って慣れてきた頃、少なくない人が「自分の学校や学部選択は正しかったのか」悩むといいます。憧れのキャンパスライフが思っていたようには自分をキラキラさせてくれないのです。高校時代の友人たちとしばらくぶりに会って、他の大学の様子を聞いたりすると、隣の芝生は青く見えます。いつしか、自分の選択が浅はかだったと考え、日常を退屈、誤ったものに感じ、いつしかせっかく受かった大学を辞めてしまう決断をしてしまう例があります。

 下の資料は、少し古いですが大学中退者の推移を示しています。推移を見ると、年間5万人前後の人が中退しています。東京大学の全学部の入学定員が約3千人であることを考えても、少なくない数字です。

スライド4

 次の資料を見て下さい。設置者別、また偏差値別の中退率です。
スライド5

 この資料から、私大の方が中退率が高く、また偏差値は低いほど中退率が高い傾向があることも示しています。なぜなのでしょうか。
スライド6

 上の資料は大学中退者がその大学への入学を決めた際に「とりあえず進学」と考えていたか相関を調査したものです。このデータは中退後、ハローワークで求職活動をした人が対象になっていますので、すべての中退者を網羅しているわけではないのですが、それでも「とりあえず進学」と考えていた人の方が、中退率は高くなる傾向が見て取れます。

 絞れないあなたは今後、出願時期が迫ったり、入試結果を受けて「とりあえず進学」ということになるかもしれません。その場合、中退したいという思いが湧き出てくる可能性は少し高い可能性がありま

す。


 ただ、学部や学科を絞らなかったあなたは、今まで決断を先延ばしにしてきた自覚があります。いますぐ焦って決断しても、いい答えが出せるとは思えません。「自分はそれを探すために大学に来た、さあ、何が面白いのか見つけるぞ」という視点を持った大学生活にしてほしいのです。大学や東京があなたをキラキラさせてくれるわけではない。あなた自身で見出してほしい。

 学部・学科を絞らないことのよい点、メリットに話を変えます。

 メリットは、入学してから将来を考えるのが本来あるべき姿ではないか、と思われることです。

 早めに進路を選択、限定することがよいことなのかも考えるに値します。中学生の時に高専に行くとか、農業高校に行くとかの選択をした人がいました。素早い、早熟、決断力があると思いますが、その決断の根拠が揺らぐことだってありえると思うのです。また世の中で解決が求められている問題は、学際といいますが、学科を横断していることが多いのです。

 一般に大学生は時間に余裕がある。試行錯誤が許される度合いも高い。この時間をいかして、自分とはどのような存在で、どういう人生を歩みたいのか、何で生計を立てていくか、考えることができます。そんな「自分探し」につけ込むある種の宗教団体や自己開発セミナーには気をつけてほしいですし、「本当の自分とは何か」についてはもう少し伝えておきたいことがあります。

「本当の自分」という実体があるのかどうか私のようなおじさんになってもまだわかりませんし、この先自分の仕事を選ぶ際に、その時はコレだ!と思った理想の仕事でも、「やっぱり違うんじゃないか」と違和感を持ったり、「私こそは向いていないんじゃないか」と思う場面が必ずあります。いや、うまく表現できていません。「本当の自分」に合う仕事がどこか別のところにあるとか、自分が「本当の自分」を見誤って判断してしまったとかではなくて、仕事や人と接することでできていく自分もある、天職があるのではなくて、天職になっていく面もあるのではないかということです。反論したい人もいるでしょうが、大学生になれば、こういったことを悩み、考える時間ができるのです。大学生の経験のある大人が「あの大学時代に戻りたい」と遠くを見つめるように振り返ることがあるでしょう。やはり可能性に満ちた時間なのです。

 進学に際して「将来の夢がかなえるためには、この学科でなくてはならない」というマストの学科があります。歯学部、医学部医学科、獣医学部獣医学科、薬学部薬学科などは、細かく言えば他にもルートがあるのですが、事実上はマスト、その学科に入学しなければその仕事に就くのは難しい。文系でも法曹(裁判官や弁護士、検察官)になる人はほとんどが法学部です。逆に言えばそれ以外の仕事はどこの学部・学科に入っても自分次第でなることができます。

 前述しましたが、次の図は、就く仕事が限定されやすいと考えられている教育学部教員養成課程の進路先です。それでも教員になる割合は約60%にすぎず、大多数が教員になるわけではありません。

スライド7
 

 学部・学科が決まらない生徒さんに向いている大学や学部があることも紹介しておきます。それは2種類あります。一つは入学後に専門を決めていく入試方法の大学、もう一つはあえて専門に特化しない学部や学科がある大学です。

 前者は、文科Ⅰ類とか社会学群など「類」とか「学群」、「学類」などいう名称がついていることが多いです。おおざっぱに入学し、学んだあとに専門を決めていく方法です。進級して希望の専門を決める際には選考があるようなので気を抜けないですが、あわてる必要がないのです。東京大学の進振が有名です。国公立では他にも次のような大学があります。


   北海道大学総合入試、      福島大学共生システム理工学類、

筑波大学総合入試、       金沢大学一括入試、

徳島大学総合科学部、      上越教育大学、

 

 後者、専門に特化しない学部や学科は、教養学部、リベラルアーツ学部などの名称が付いています。他にもあるでしょうが例えば、次のような単科大学や学部です。

東京大学教養学部、       早稲田大学国際教養学部、

国際教養大学、         国際基督教大学、

上智大学国際教養学部、     埼玉大学教養学部、

徳島大学総合科学部、      立命館アジア太平洋大学、

法政大学グローバル教養学部、  青山学院大学社会情報学部、

桜美林大学リベラルアーツ学群、 玉川大学リベラルアーツ学部、

山梨学院大学国際リベラルアーツ学部

 

 教養、リベラルアーツと言われても中身が何かわかりにくいものです。教養系の学部とは何をするところなのか、比較的わかりやすく表現してある大学が次の例です。

 スライド9

 

 

 代表的な人々は「教養とは何か」について、次のように表現しています。

 

 スライド10

スライド12

 

 

教養やリベラルアーツとは何か、調べてみると抽象的な言葉が並んでいて、あまり腑に落ちないと思います。「教養とは何か」だけで著作がたくさんあるくらいですから、厳格には言えません。簡単に言ってしまえば上の人々が述べているように、非-専門、あまり専門に入らずに幅広く学んでいきましょう、ということです。

 背景を伝えます。この国ではある時期から「小さな政府」志向もあって、大学は実学というか専門分野に早めに特化しようという動きがありました。今もその流れはあります。利益や実利を生み出さない(とみなした)学部や学科は縮小、利益を生む学部・学科なら拡充という流れです。実際にいくつかの先端分野で専門に特化したスペシャリストが国際競争で成果をあげています。専門以外の授業、これを大学では「一般教養」と呼びますが、この一般教養をできるだけ減らして、入学後の早い時期から専門を学ぶようにしたのです。一般教養は「パンキョー」と呼ばれ、学生たちから軽んじられる風潮が出てきました。

 一方で、逆の動きもあります。経済がグローバル化し、他国と接する機会が増えるにつれて、教養が見直されるようになってきたのです。困難な課題を解決する際に教養が役立つのはもちろんです。「この発電施設の危険性はどこにあるか」、「性能も価格も申し分ないこの商品がなぜ売れないのか」、「少子高齢社会に対応する社会制度の優先順位はどうなるか」など、国内外で直面している諸問題には、技術だけでは解決できず、教養が欠かせません。

 経営者たちも教養の不足がビジネスにマイナスになることを感じているようです。先に述べた出口治朗さんは国際的に事業を展開する保険会社の経営者ですが、他国で事業を展開し、他国の経営者と渡りあっていく上で教養の必要性を強調しています。

 専門性重視に疑問を投げかける事件も起きました。1995年に起きた「地下鉄サリン事件」です。自分たちの都合の悪い人物や機関をなきものにするために、ある宗教団体がサリンという猛毒を巻いた事件です。13人の方が亡くなり、約2600人の死傷者が出ています。この団体の中枢に、難関といわれる大学を出て、専門性に秀でた人物たちが大勢いました。東大、京大、東工大、早稲田大、慶応大、医学部医学科などそうそうたる大学や学部の出身者です。彼らの専門性がこの団体の目的を果たすための手段となっていました。いくら専門性にすぐれていても、このような行為を引きおこす手段や方法を提供する大学教育に疑問が出されるようになるのです。

 立命館アジア太平洋大学が設置されたのが2000年、国際教養大学は2004年です。地下鉄サリン事件は1995年、家庭にパソコンが一気に普及したウィンドウズ95の販売も同じ年、経済のグローバル化が進んだのは次第にですので特定の年をあげるのは難しいですが、円相場が1ドル=79円台を記録したもの同じ1995年です。

 幅広い教養と専門性。大学教育としてどのようなバランスや関係が適切なのかはここでは手に負えませんが、みなさんが入学した後どこの大学でも一般教養、「パンキョー」の授業があるのは、このような背景があるのです。

 教養系の進路先は、多岐にわたっています。
スライド13

  文系・理系のような境はありません。私たち教員は入試科目で分類できることが多いので、どうしても文系・理系と表現することが多いのですが、考えてみれば文系学部出身の多い裁判官や弁護士が「この薬害訴訟は複雑な化学なのでわかりません」とか、理系出身者が多い発電所の関係者が「この発電施設の事故による住民生活への影響は私たちには無関係です」とか、「このウィルスをどう気をつけるべきか、文系教科の私は関係ありません」と中学校の先生が言うべきではないでしょう。世の中の諸問題を見渡してみると、文系・理系とは割り切れないことの方が多いのです。

 

 学部・学科を絞ることができなくても、入学後に選んでいく方法と、教養系の大学、学部があることをみてきました。繰り返しになりますが、一部の職業以外は多くの学部・学科から就くことができることもみてきました。決めていないデメリットを理解、覚悟しながら、これから臨んでもらえたら嬉しいです。

 

このページのトップヘ