高校 政経・倫政の補習講座

大学入試に向けた知識、学んだことと生活を結びつける知恵を提供します。

2021年10月

 今回も江戸時代の思想を学びます。
 朱子学という官学に対して、批判や疑問が生まれてきます。中国の朱子に対して王陽明がそうであったように、朱子学が形式にとらわれてまさに形骸化、外面にばかりとらわれて心の自発的な働きを妨げているとしたのが中江藤樹です。彼は朱子学への疑問から武士を辞めてしまいます。
 中江藤樹のキーワードは「孝」、「愛敬(あいけい)」、「良知」、「知行合一」、「時・処・位」あたりでしょうか、「時・処・位」は外面ではなく、自らの内面に従って、時と場所と位(身分)に応じた振る舞いを求めます。位(身分)がちょっと違和感があるでしょうが、その身分が違っても人間が根本とすべき考え方は平等で、その根本が「孝」です。「孝」を手っ取り早く言ったのが「愛敬」、真心をもって人と接することだというのです。
 中江に学んだ熊沢蕃山は幕府から幽閉されていますし、陽明学者の大塩平八郎は乱を起こします。中国でも朱子学と陽明学は対立していました(性即理と心即理、格物致知の解釈などです。忘れていたら復習しましょう)が、同じ儒教という枠にありながらの近親憎悪は、カトリックとプロテスタント、スンニ派とシーア派、仏教内部でもありました。似ている方が対立しやすいのでしょうか。
 ちなみに日本の学校では号令、「起立、礼」がありますが、これは儒教的な慣習です。朱子学ならその形式ができていれば善しとされるでしょう。陽明学なら内面が伴わなくてはなりません。とすれば尊敬できない苦手な先生に対する「起立、礼」はどう振る舞うことがよいのでしょうか。日本の学校は「世の中に出た時のために」という要請から成り立っている部分が多いので、社会人になっても礼法は求められます。尊敬できない苦手な上司への礼法、どうしますか? 
 今回、下にある過去問は必ずしも陽明学のものではありません。江戸時代の問題はこうやって、系統の違う人が並べられて理解できているかが問われます。ここでも最初からスラスラは解けないでしょう。一方でその人の基本的なキーワードを知らないとゴチャゴチャするだけですので、「過去問だけやる」スタイルも入りにくいでしょう。「基礎を入れたあと過去問、その上で像をハッキリさせていく」ことをおすすめします。

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 今回は江戸時代の儒教を中心に学びます。
 江戸時代はちょっと踏ん張りどころです。人の数が多くて区別しづらく、また国内のことなので割と細かいことが問われます。日本史受験者は一石二鳥でしょうが、それ以外の人は人名だけでも苦戦します。ただこれもいつもと同じ、自分が苦しい単元は、多くの人が苦しい。逆にそこを何とかするとアドバンテージになります。

 儒教はもともと聖徳太子が憲法十七条で、「和をもって貴しとなし、さからうことなきを宗とせよ」とか「詔を承りては必ずつつしめ」と定めていたように、大陸の進んだ文化として受け入れられてきました。歴史上、江戸時代になるまで前面に出ることはありませんでしたが、仏教の僧たちが教養として学んでいたので脈々と息づいていました。江戸時代に出てくる儒学者たちは僧出身者が多いのです。
  ここでも〈人名・キーワード・内容〉を結びつけることが早道です。林羅山なら「上下定分の理」、「居敬窮理」、「存心持敬」あたり、山崎闇斎なら「垂加神道」、新井白石なら幕府の顧問になったことや著書『西洋紀聞』、雨森芳洲なら対馬藩で朝鮮との外交や「誠心の交わり」あたりになるでしょう。ちなみに山崎闇斎は仏教を批判して、ゴーダマ・シッダルタは妻子を捨て、一人で悟りを開くなど身勝手でその者から始まった仏教は邪教だとして、朱子学と神道を結びつけています。これがのちに幕末の志士たちへも影響を与えます。
 朱子学が幕府の官学、つまり公式の学問となり、1790年の寛政異学の禁では、朱子学以外の講義は禁止されました。朱子学はざっくり言えば幕府が求める秩序を維持するのに都合がいい考え方だったのです。しかし中国における朱子学がそうであったように、ビックな官学というテーゼへの疑問、批判から新しい考え方、アンチテーゼが生まれていきます(陽明学や古学派、国学など)。また安定した秩序の下で江戸時代の人々の往来や娯楽が生まれていきますので、朱子学を単純に悪玉扱いするのもまた難しいでしょう。ただ、現在でも「若造は黙ってろ」的な「それが自然の秩序」と不合理な慣習を求めるおじさん達がいて、朱子学的な考え方を背景にしていますので、批判的に学んだ方が理解しやすいかもしれません。

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 今回は鎌倉仏教の栄西、道元、日蓮の考え方を学んでいきます。
 浄土教系に引き続き、それぞれの著書は必須です。
 栄西と道元は、末法思想や他力の信仰を批判し、座禅によって自力の救済を目指す禅宗を伝えました。ゴーダマ・シッダルタは菩提樹の下で静かに座り、瞑想しながら悟りを開いていきましたから、仏教において座禅は悟りを開くための一つの修行方法です。この方法はインドの僧、達磨が中国に伝え、座禅をしすぎた達磨は手足がなくなるほどだったと言われます。ダルマさんのモデルです。禅宗は、ゴーダマの悟った真理は言葉や文字ですべてを表すことはできず(不立文字 ふりゅうもんじ)、座禅をすることで得られるいうと考え方をします。私たちも運動したり作品を残す時に、頭や文字ではなく、身体で身につけることがあります。宋で学んでいた栄西が、座禅を重んじる臨済宗を日本に伝えました。道元もまた宋で学び、曹洞宗を日本に伝えます。
 両者の違いは何でしょうか。これも単純化すれば、臨済宗の座禅は考えながら座り、曹洞宗の座禅は考えずに座ります。難しい言葉では、臨済宗は公案という問題を考えながらの看話禅、曹洞宗はひたすら座る黙照禅といいます。
 臨済宗の座禅は目的に至る手段、曹洞宗の座禅は坐ること自体が目的、と言いかえてもいいでしょう。「一休さん」という昔話、漫画やアニメがありますが、実在の人物の一休は考えながら座り、何か出来事に対して名案を出していきます。一休は臨済宗です。
 一方、曹洞宗の道元のキーワードは「只管打坐」、「身心脱落」、「修証一等」、あたりになります。只管打坐とは、只だ(ただ)ひたすら坐ることに打ち込むこと、です。こうして身も心も尽くして坐り抜く時、すべての束縛から解放され、身心が自在の境地に達することが「身心脱落」で、俗っぽく言えば無我の境地です。坐るという修行=「修」と、悟りの境地=「証」は等しい、「修証一等」とつながっていきます。道元は『正法眼蔵』の中で「座禅を真理へ到達する手段だと思っているうちは迷いの中にある」とも述べています。あまり多くはないでしょうが、私たちも何かにひたすら打ち込んでいる時、ゾーン状態に入って、その時だけは悟り状態と言われればそうかもしれないという心境の経験があるかもしれません。

 日蓮に移ります。日蓮は『法華経』を唯一の経典とします。法華経にある「妙法蓮華経」という5文字の題目に帰依すること、「南無妙法蓮華経」に釈迦の功徳の全体が表現されているのだから、この題目を口に唱えること、唱題によって、誰でも仏になることができるとしました(「南無阿弥陀仏」という念仏ではありません!)。
 また個人の救済だけではなく、国の政治のあり方へも言及しています。日蓮の著作は『立正安国論』ですが、題名からも鎮護国家というか国を安んずる考え方がうかがえますし、この著作の中で「外国の賊どもが国内を侵掠する」と、元寇を予言するような記述が見られます。法華経に基づく仏国土を目指すために他宗派を激しく攻撃することも特徴です。キーワードの一つ、「四箇格言」といいますが、念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊とまで表現しています。激しいですね。ただ、主な宗派の中で攻撃されていない宗派がありますね。それは天台宗です。なぜか。なぜなら天台宗や聖徳太子は法華経を重んじていましたから。
 多宗派に対する激しい攻撃や鎌倉幕府に対する要求は弾圧を呼び、日蓮は2度流罪にあっています。しかし、弾圧されること自体が法華経を広げている証であるとして、自らを「法華経の行者」と位置づけるようになります。激しい弾圧に遭っても信念を曲げず、一層信念を強固にしていく姿勢は、まっすぐとも言えるし、かたくなとも言えるでしょうが、稀であることは間違いありません。

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 今回は鎌倉仏教です。
 鎌倉仏教はそれまでよりも実践しやすい方法で(易行)、その方法に専念するという特徴を持っています。法然、親鸞、一遍、栄西、道元、日蓮と主に6人登場しますが、それぞれの著作は必須です(一遍には著作はありませんが)。この単元は中学校でも学んでいますので、少し踏み込んだところから始めましょう。
 今回は6人のうちの3人、浄土宗、浄土真宗、時宗をみます。いずれも浄土信仰のところでも出てきた阿弥陀仏を信仰しますので、「南無(ナーム=帰依します)阿弥陀仏」という念仏を唱えます。末法の世では自力の修行によって悟りを得るのは困難なので、阿弥陀仏による「他力」を信じて浄土に生まれる他ないと考える点も同じです。では3人の違いはどこにあるのか。各地を遊行し、空也の伝承にならって踊念仏を広めた一遍はともかく、とりわけ法然と親鸞の違いはどこなのか。
 法然のキーワードは、「専修念仏」です。浄土で往生するために他の修行方法は捨て、専ら、ひらすら念仏を口で唱えること(口称念仏)を説いたのが特徴です。ちょっと寄り道しますが、源信は『往生要集』の中で、念仏には2種類あると述べていました。一つは心に強く阿弥陀仏や極楽浄土を思い描く観想念仏。もう一つが口で「南無阿弥陀仏」ととなえる口称念仏(称名念仏)です。「思いが大事か、口に出すことが大事か」は現代の恋愛や夫婦関係の場面でも話題になることがありますが、あなたはどちらを重視しますか?
 法然が重視したのは、自力で厳しい修行をする道(これを聖道門と言います)ではなく、凡夫の誰でもができる口称念仏だったのです。旧来の仏教界からは反発され、僧籍を剥奪され流刑になっています。
 
 親鸞に移りましょう。親鸞は法然を慕っていて「法然にダマされて、地獄に墜ちても後悔しません」と述べています。ソクラテスとプラトンの関係に似ているでしょうか。けれど現在も浄土宗と浄土真宗は別の教団ですし、一向一揆など異なった歴史を持っています。
 親鸞のキーワードは、「悪人正機説」と「自然法爾(じねんほうに)」あたりとなります。悪人とは犯罪者のことではなく、自分で善行を積むことができない人を指します。その悪人こそが他力にすがる信心が強く、まさに阿弥陀仏が救おうとした対象であるとするのです。弟子の唯円の『歎異抄』には「悪人が救われるなら、善人はなおさら救われるはずではないか」という悪人正機説への反論があったエピソードが出ています。親鸞によれば、自力に頼ることができる善人は阿弥陀仏の力にまかせる気持ちが欠けていて、阿弥陀仏の本願の対象ではない、というのです。
 自然法爾とは、人は自然に法則として、しかるべきように救われる、という考え方で、「阿弥陀仏にすがろうとする信心が芽生えることですら、阿弥陀仏の力」ととらえています。「それも○○の力」という捉え方はキリスト教やイスラーム、ヘーゲルにも似ているかもしれません。
 法然と親鸞の違いをもう一つ。念仏の回数というか頻度ですが、法然は専修念仏はただひたすら念仏ですから、数は多い方がいい。一方の親鸞は本気で阿弥陀仏にすがる気持ちが込もっているなら、念仏は一度でもいい、それも自然法爾ですから。また下らない余談ですが、例えば「愛している」と口にする数は、多い方がいいですか?

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 今回は平安時代の思想を見ます。中心は最澄と空海です。比叡山・延暦寺・天台宗・最澄をそれぞれの頭文字をとって略して「ひえー、てんさい!」、高野山・金剛峯寺・真言宗・空海を略して「ここ、しんくう?」と覚えます。
 最澄と空海の平安仏教は、鎮護国家を否定はしていませんが、そこから抜け出す新たな方向を出したことに特徴があります。ただ、ちょっと難しい、深入りしています。
 最澄から見ます。最澄のキーワードは「一乗思想」と「本覚思想」の2つです。最澄は「法華経」を根本経典としていますが、一乗思想とは「釈迦の教えは、根本的には一つの乗り物、法華経の教えに帰する」という考え方です。従来の奈良仏教、南都六宗の徳一という僧と論争した時に、徳一はその人が成仏できるかは先天的に決まっているとしたのに対して、最澄はあらゆる衆生は、法華経によって等しく成仏する可能性がある(自動的に、ではない)としました。つまり悟りを得る素質や能力に差を設けるかが異なるのです。
 本覚思想とは、あらゆる衆生は悟りへの本性が内在している(自動的に、ではない)という考え方で、その後「山川草木悉有仏性(さんせんそうもく しつ うぶっしょう)」とか「一切衆生悉有仏性」、人間だけでなく、草木も悉く(ことごとく)仏性が有ると表現されていきます。
 最澄はもう一つ、延暦寺に戒壇を設けました。戒壇とは簡単に言えば僧としてのライセンスを与える免許センターです。それまでは鑑真の指導のもとにできた東大寺だけが戒壇でしたが、もう一つの戒壇をつくったのです。この比叡山で法然や親鸞、栄西や道元、日蓮らが学んでいます。

 続いては空海です。空海のキーワードは「密教」、「即身成仏」、「三密の行」あたりです。密教は言葉による説明ではなく、神秘的なマル秘の方法で悟りを得ようとします。その方法が三密(2020年頃同じ言葉が流行しましたが全然関係ありません)、三は身・口・意の3つです。これも単純化して説明しますが、身は指の形で仏法を表すこと、口は呪力のある秘密の言葉を唱えること、意は心で大日如来や曼荼羅を思い描くことです。これらの方法を採れば、生きているこの身のまま成仏できる、「即身成仏」できるとするのです。秘密の方法こそ含まれていますが「この身のまま」あたりに現世利益が見られ、のちに仏教が民衆へ近づく萌芽が出てきます。
 先ほど、大日如来(だいにちにょらい)という言葉が出てきましたが、密教の本尊は大日如来です。ゴーダマ・シッダルタら悟りを開いた者が伝えた真理そのものを身体としています。イエスが神から使わされた神であるのに似ている、と言えばいいでしょうか、ゴーダマらも包括する宇宙の根本原理が大日如来です。その世界観が表現されたものが曼荼羅です。
 最澄、空海の出題もスラスラは解けないでしょう。微妙なニュアンスがありますので、問題を解いて間違えながら像をハッキリさせていくことが必要になります。

 平安時代は最澄と空海以外にもう一つ、浄土信仰が盛んになっています。自分が悟りを開くことよりも人々を救うことを選んだ阿弥陀仏を信仰し、極楽浄土で往生しようとする信仰です。平等院鳳凰堂のような極楽浄土を望み、その望みが破れれば地獄絵図に描かれたような世界をさまよう。
 人物としては「厭離穢土、欣求浄土」と述べた源信、踊り念仏をはじめたとされる空也(市聖)の2人。そして浄土信仰が広がったのは、末法に入ったと考えられたことが背景にありますが、正法(教+行+証)、像法(教+行)、末法(教)の区別が必要です。

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