高校 政経・倫政の補習講座

大学入試に向けた知識、学んだことと生活を結びつける知恵を提供します。

2023年01月

人生に意味を見出せない苦しみ
戦い続けることへの苦しみ

 少し重たい苦しみを感じる場合もあります。この苦しみは全員が感じるのではないでしょうが、できれば避けたい苦しみです。
 それは受験勉強に取り組みながら、こんなふうな毎日を過ごすことにむなしさを感じる場合です。苦手な教科がある人は「アーもう嫌だ、数学のない世界に行きたい」とか時々感じるでしょう。それは当たり前。これから触れる苦しみはそれとは違います。
 受験そのものやこうして受験勉強して出た結果に対しても、またその先の就活や仕事をしていく人生そのものに「こんなふうに生きていかないといけないんだ」、「これからもずっとこういう努力や競争していかないといけないのか」、「仮にうまくいったとしても、その先にどれほどの意味があるのか」と思うような苦しみです。意味を感じることができない苦しみ、戦い続けることへの苦しみと言い換えてもいいかもしれません。

 このような苦しみを感じていないあなたは、これ以上読み進める必要ありません。
 読んでしまったばっかりにすべてに意欲が持てなくなることもありうるからです。見なくてすむなら見ないほうがいいパンドラの箱、こういう苦しみを感じていない人は、受験勉強に戻りましょう。

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 今回は、大学に進学することの意味やメリットを見ていきましょう。

 前回、大学でしか学べない知識や情報は多くないという指摘を見てきました(大学へ行くべきか迷う人へ その1)。大ざっぱに整理すると次のようになりました。


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 今回は「大学へ行った方がよい」という主張を見ていきます。
 
一見役に立たないことにも価値がある。

 職業と学科が結びついたマストの職業をしている人や研究者などの一部の仕事はちょっと別ですが、大多数は大学で学んだことは職業、仕事に直接の役には立ちません。

 ところが、大学生というものを経験した人のほとんどが「でも大学生活には大きな意味はあった」と考えています。その「大きな意味」とは人によって違いますが、自分や他者に対する見方や人間関係に関わることを学んだからです。これらは知識や情報とは違います。時間があったゆえに無駄というか、回り道して得たものがあるのです。

 大学生でyoutubeやブログをしていて、たくさんのフォロワーや熱心な読者がいるケースがあります。彼らが伝えているのは大学の授業で学んだことや実用的な知識ではなく、授業外での誰かとの出会い、旅先で考えたこと、自分を成長させた出来事について表現しています。

 また狭い世界で恐縮ですが、授業中、先生方が自分の経験を話すことがあるでしょう。雑談です。一見くだらない、無駄とみなせることもできますが、概して生徒さんへ伝える知識に立体感を与えたり、やる気を引き出していて、雑談の方が印象に残っているくらいです。授業中でなくても構いません。ある先生は学生時代にオートバイで全国を走り回っていた、ある先生はライブハウスで歌っていた、劇団に所属して公演していた、それは大きな無駄です。きっと、その先生の親も当時は心配したでしょう。でもその無駄がなかったらその人独特の個性も生まれなかったはずです。生徒に、詳しく、効率よく知識を伝える技術は必要でしょうが、それだけを学んできた教員がよいとは限らないのではないでしょうか。では「何がよい教員の要素なのか」、これについては深入りしませんが、どのような職業であっても知識や情報、技術以外の、抽象的な表現ですが、幅や広さや温かみが「こういう人と一緒に仕事をしたいな」とか「欠かせない人だな」を生んではいないでしょうか。

 無駄なことをするには、専門学校や短大では時間が足りないのです。

 もちろん反論もできます。「大学時代よりも就職したあとの方が時間が長いのだから、働きながら幅や広さを身につけることは可能ではないか」という反論です。それは可能です。可能ですし、学歴にかかわらず、否応なしに入っていった業界に染まっていき、それまでの自己はどういう方向になるにせよ、変わっていかざるを得ないでしょう。ただ、オートバイで1ヶ月かけて全国を回るような無駄、若いがゆえにできる無駄ができるかというと、多くの職場では簡単ではないと思います。
 

 就職しやすいし、望んでいる仕事に就きやすい。 

 高卒からでも大卒からでも就ける仕事があります。看護師や警察官、保育士などが代表的です。次の図は看護師になるための道筋です。  


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看護師になるためには複数の方法があり、高卒でも大卒でもよいことがわかります。ちなみに教員の世界でも高卒でもなれる職種や、高卒でも小学校教員資格認定試験という一発試験があります。

 大学の看護学科に受からなかった場合に、看護系の短大や専門学校に進学する例はたくさんありますし、警察官の方は採用試験で大卒枠の類で合格するのは倍率が厳しいので、高卒でも受験できる類で合格し警察官になっていく大卒の人がいます。面接練習をしていると「技術が信頼されるだけでなく患者さんの気持ちをくめるような看護師に」とか「住民の安全を守ることはもちろん、よろず相談の相手になれるような警察官に」と気持ちを教えてくれて、頼もしく感じます。学歴にかかわらず、患者や被害者にとってはプロの一人、いずれも現場においては看護師や警察官としてやりがいを感じながら仕事をしていくんだと思います。

 看護師の場合はお給料、賃金も大卒でも高卒でも大きな違いはなく、月に1万円も違わず、むしろ夜勤による手当の方が収入に違いをもたらすといいます。

 では、これらの仕事の大卒のメリットは何でしょうか。なぜ高卒でも就くことができるのに大卒の人が存在するのでしょうか。

 まずは、管理部門への可能性の違いです。俗にいう出世の可能性です。若い今はそんなことはあまり考えないでしょうし、患者さんや被害者さんに頼りにされることの方が確かに大切ですが、年を取ったり、周囲から求められて管理職や指導する側になろうと考えた際には大卒の方が容易です。

 他にも看護師でいえば求められる技能が高度化、専門化していることがあげられます。看護師に求められる役割は増えていて、従来の助産師や保健師だけではなく、専門看護師、認定看護師、認定看護管理者、訪問看護師など、外からは見えにくいような資格が増えています。これらの資格を取る際には、知識や技能面、仕事との両立を考えても大卒や大学院卒の方が取りやすい面があるようです。

 

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 これらの、高卒からでも大卒からでも慣れる仕事の実際面は、ネットで得られる情報は十分ではありません。公の機関のHPは実態や本音がわからず、個人のHPや私のこういうブログは信用度が低い。

 それよりも病院や保育所、警察署に電話してしまう方法もあります。「○○と申しますが、進路で迷っているんですけど、大卒の保育士さんと話をすることはできますか」、「大卒で三種で警察官をやられている方に伺いたいことがあるんですが」、もちろん忙しくて断られるところや時間帯もあるでしょうが、話を聞いてくれるところ、人はいます。直接現場に電話するのがためらわれるなら、県警の広報、県看護協会やナースセンターなどに問い合わせてみましょう。大切な進路選択ですから、遠慮せずに動いていいんです。


 逆に、世の中には、大卒でないと就けない仕事や職業があります。

 資料は人気企業ランキングで上位に来る企業の求人欄です。見てみると、採用試験に応募する条件として、大卒に限定しているか「同程度の学力」が求められています。

  

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 「厳格な条件ではないにせよ、『原則大卒じゃないと』『大卒が前提』という暗黙の了解がある場合は、大卒者でなければまずシャットアウトされてしまいます。」

   

 「そして、『原則大卒じゃないと』『大卒が前提』という仕事や職業は、概して労働条件のいい、働く側に易しい仕事や職業であることが多いのです。」

(浦坂純子 『なぜ「大学は出ておきなさい」と言われるのか』 2009年 洋泉社)

  大学で学んだことは、直接は仕事に役に立たないことが多いにもかかわらず、です。なぜ応募条件が大卒に限定されているのでしょうか。実力があれば高卒だろうが、大卒だろうが関係ないような気もします。

 雇う側から考えてみましょう。採用担当者が時間や費用をかけて、学生一人一人の実力を調べるのは容易ではありません。学生は就職活動用に表現を仕上げてきますので、見抜くことは更に難しい。人気企業であれば大卒だけでも希望者はウジャウジャいるので、なおさらです。雇う側がかけられるコスト、時間や費用には限りがあるため、大卒から採用ということになるのです。大卒から採る意味について先ほどの筆者の浦沢氏は、次のように2つあるといいます。 


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 このように雇う側は、大卒の方が学生時代に力を付けたはずと考える「人的資本論」や、少なくとも大学入試を突破するだけの力を持っていると考える「シグナリング理論」等の考え方に基づいて、またそうした考え方で今まで新規採用してきて、おおむねうまくいっているという経験から採用方法を決めている、というのです。そうなると高卒や専門学校卒、短大卒は門前払い、就職試験を受けるチャンスさえありません。 

 本来そうあるべきかはわかりません。企業は手間暇やコストをかけて大卒だろうが、高卒だろうが一人一人の「実力」を見極めるべきだという考え方も理解はできます。理解はできますが、例えばある友人やクラスメートの「実力」はどのくらいの時間があれば判定できるでしょうか。私たち教員は生徒さんを評価する場面がありますが、担任として各教科からの成績をもらったり、部活動の顧問からのエピソードや文化祭などの行事の場面で、ある生徒について知らなかった、意外な面に気付かされることがたくさんあります。1年間かけても評価しきれないくらいです。「実力」のうちのある部分はわかるかもしれませんが、あくまで部分にとどまるでしょう。ある人の「実力」を見極めるのは難しいのです。

 また、科目「政治・経済」で学んだ人もいるでしょうが、私企業がどんな人を採用するかは私人間(しじんかん)といって、各企業と雇われる側の契約、採用方法は事実上、企業側に任されています。
 例えます。あなたの結婚披露宴に元クラスメート全員は呼ばないでしょう。席に限りがあるので限られた友人だけを呼ぶことになります。このことで呼ばれなかった元クラスメートが「差別を受けた」と主張することはできません。誰を招待するのかはあなたの側に任されています。「私人間」とはそれと同じです。極端に言えばある企業が「大卒からしか採用しない」とか「A大学とB大学からしか採用しない」とすることは、公的機関が行えば明らかな差別ですが、私企業がおこなっても憲法の平等権には反するとは限りません。雇う側の自由、経済活動の自由なのです。

 賃金が高い。

 次の資料は、生涯賃金を示しています。

 

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 数字は就職先の規模にもよりますし、大卒なら就職が約束されるわけでありません。またこの傾向が今後も続くのかもわかりません。が、平均すればこのような違いになります。

 傾向としては大卒と短大(専門学校)卒では男女とも約4000万円近い差があります。高卒なら早くから働きはじめて収入が得られ、また、学費や生活費などの支出も抑えられます。しかし、現在の統計ではトータルでは逆転します。この生涯賃金の差は、逆に言えば大学へ行くのにお金がかかるといっても、そのかかったお金が4000万円以内なら元が取れる、いずれは逆転する、と計算上は言えるわけです。

 繰り返しますが、この差は就職先の規模や職種によるのであなたが4年制大学を出たからといって約束されるわけはありませんし、専門学校卒なら賃金はここまでと上限が定められているわけでもありません。先ほどあげた「大卒でなくて活躍している人」のなかにも、宇宙旅行をしたり、彼とのお見合いの申し込みに2万人以上集まった資産家もいました。あくまで一般的な傾向です。  

 とはいえ、人は給料のためだけに働くのではありません。次の図は「働く目的の三本柱」。人が働く時、どれを重視するか比重は人によって異なっているとしても、その目的は主に3つあることを示しています。あなたはどれを重視するでしょうか。

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 世論調査では、日本では3つのうちどれが重視されているのか、下の図のようになっています。


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 帯グラフ中の右側、「自分の才能や能力を発揮するために働く」と「生きがいをみつけるために働く」の2項目が上の三本柱の「生きがいや自分を活かすため」にあたります。 

 この国では、多くの人はこのように考えているわけです。約半数がお金を得るためと考えていて、意外と多い印象を受けます。
 

 すこし回り道します。三大宗教は、お金に関して次のように説いています。

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いずれもお金を目的にすることを戒めています。
 三大宗教とは信者の数ではなくて、発生した場所を越えて世界へ広がっている世界宗教を指しますから、広がるだけの理由を持っているはずでしょうし、現代でも各人のアイデンティティの形成やいくつかの国の政策へ影響を与えています。三大宗教いずれもがお金を目的に暮らすことを戒め、分け与えたり、お金に執着することなく慎ましく暮らすことを求めています。逆に言えばそれだけお金の力が強いことも示していますが、人間生活とお金の関係は古くから濃い課題があることをうかがわせます。
 

 多くの漫画やアニメでは、お金に執着するのは悪者、というか主人公に敵対するキャラクターとして配置されます。主人公はお金を目的には活躍しない、どうやって生活しているのか不明なほど、お金のにおいがしない位置づけがされています。 

 例外的なキャラクターもいます。ルパン三世やルフィがそうです。泥棒と海賊ですから。しかし彼らもお金そのものに執着しているというよりは、困難を乗り越えることがテーマになっている気がしています。

  

 お金への執着が、悪のイメージで扱われていることがわかりました。では、お金のために働くことは、よくないことなのでしょうか。お金は手段であって目的ではなく、お金より大事なことがあるのは間違いありません。お金と働くことの関係について、ある人は次のように指摘しています。

 「お金に余裕がないと、日常のささいなことがぜんぶ衝突のタネになる。食べたり着たりどこかへ行ったり、そういう生活のひとつひとつのことにぜんぶお金が関わってくるからね。お金がないと、生活の場面のいちいちでどうしても衝突が避けられない。

     それも何十万、何百万って話じゃない。何万円、何千円の話で激しいいさかいをする。たったそれっぽっちの金額でののしり合う、この情けなさが、わかる?」

   

 「子どもたちは、何日も風呂に入れてもらってないから、垢(あか)でうすよごれて真っ黒。笑うと虫歯で歯がないし、服もよれよれ。歯医者に行かせる余裕なんかあるわけないし、服もおさがりの、おさがりの、そのまたおさがりで。…(中略)…ないけど、ないままってわけにもいかないってことで、手癖は悪いは、デビューは早いわ、先を争うようにして不良になっちゃう。」

     

『いちばんほしいもの』がお菓子だった子どもも、ちょっと大きくなると、女の子なら服や化粧品になる。気に入った服を試着したまま、店から出てきちゃうわ、化粧品も『これ、試供品だから』ってごっそり持って帰ってきちゃうわ。

   男の子なら、ガソリンを盗んだり、シンナーを盗んだりは朝飯前。ガソリンはもちろん、よその車からの『おすそわけ』。誰かが見張りに立って、別の誰かが知らない人の車の給油口にゴムホースやチューブを突っ込む。で、ストローみたいにして、口でキューキュー吸い出すの、ガソリンを先輩の車にそうやって燃料を調達したら、それを乗り回して朝まで遊ぶ。」

       (西原理恵子 『この世で一番大事な「カネ」の話』 2008年 理論社)

  国内の貧困は見えづらい側面もありますが、この著作が発行されたのは2008年、筆者が幼少期、おそらく1970年代を振り返った記述です。少し古く感じるかもしれませんが、このようなお金がないことによる子どもたちへの影響は、今も昔も変わりません。ちょうど2008年はリーマン・ショック、世界金融危機がおきた年で、この不況の影響は今もあって、国内の貧困率が上昇、少年犯罪や児童虐待、育児放棄やこども食堂などの現象につながっています。身近にも「家は経済的に厳しいので修学旅行には行けません」とか「進学することは経済的に無理です」という家庭は確実に存在し、そこでは子どもは「負担」と位置づけられてしまうことがあるのです。 

 こうしてみてくると、「お金なんて関係ない!」と言えるのは、もしかしたら、そう言っている人の状況や境遇が、お金に関して深刻には困っていない、「お金なんて関係ない!」と言える程度にはある、という可能性が高いです。お金以外に大切なことがあるのは間違いありませんが、お金も大事なのです。


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 大学に進学すべきかどうか、見てきました。あるHPを参考にもう一度、専門学校との比較を整理して載せておきます。

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こうして見てくると、「大学へ進学すべきか」を考えることは、ここから何年間かの進路選択にとどまらず、社会に出て「活躍する」とはどういうことか、人は何のために働くのか、お金に関してどう考えたらいいか、など簡単に答えが出ない問いとも関わることがわかります。進路を選ぶことはたいへんな決断です。と述べつつ、矛盾するようですが、でも損をしたって生きていける、何とかなるさ、とも思います。 

  筆者自身は大卒ですので「大学に行く必要があるのか」、フェアに記述できたかはわかりませんし、あなたの納得いく答えに近づいたのかもわかりませんが、進路選択に参考になることがあったら嬉しいです。

大学に進学すべきか迷っている皆さん

 
 「大学へ進学することに疑問を持っているんです。」

 「専門学校でも同じ資格が取れるので、そちらでもいいと思っています」

 「大学に行くのをやめようかと思っています」

という声を聞くことがあります。 

 それらの疑問にすこしでも応えられたらと思って、大学に行く必要はあるのかを考えてみました。

 ただ筆者である私は大学を卒業し、そのことを後悔していませんのでフェアに記述できるかわかりません。その分は差し引いて考えて下さい。また多くのことがそうでしょうが、読みたくない、避けたい箇所があなたの琴線に触れています。そこのモヤモヤと向き合って下さい。

 それぞれの根拠を整理するとだいたい下のようになります。

 「大学に行く必要はない」という主張と「行った方がよい」という主張の理由をまとめると次のようになります。
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 まず、「大学に行く必要などない」という主張から少し詳しく見ていきましょう。

 ①学ぶ場所は、他にもある。
 学ぶ場所は、大学以外にもたくさんあります。

 独学で、例えば本や地元の公民館、カルチャーセンターで学ぶことができます。特にインターネットの力は大きく、ネット上には日常の知りたいことから論文まで掲載されていますので、何かを知りたい時、知識や情報が得やすい時代です。大学生自身がネットから情報を得てレポートを書いたり、卒論を作成することもあるので、逆に「大学でしか学べないことって何だろう?」と考えさせられます。

 ただ、大学で学ぶこととは知識や情報に限られるのか、またあなたが仮に深く知りたい、探究したいと考えたそのことが、大学以外の場所で独りよがりではなくてつきつめられるのか、など、保留したいこともあります。が、ほとんどの知識や情報は大学以外でも得ることができるのは間違いありません。


 ②学んでいる内容が仕事の役に立たない。

 卒業後は多くの人は働くことになるでしょう。その時、出身の学部や学科に関連する仕事をする人もいるでしょうが、そうとは限らないケースがたくさんあります。

 進学に際して、「将来の夢がかなえるためには、この学科でなくてはならない」というマストの学科があります。歯科医師になるためには歯学科に入学しなくてはなりません。医学部医学科、獣医学部獣医学科、薬学部薬学科などは、細かく言えば他にもルートがあるのですが、事実上はマスト、その学科に入学しなければその仕事に就くのは難しい。文系でも法曹(裁判官や弁護士、検察官)になる人はほとんどが法学部です。

 一方、逆に言えばそれ以外の仕事は、どこの学部・学科に入っても自分次第で就くことができます。特に人文系や社会科学系の学部は進路は限定されません。とすればある学科に入学して学んだことが直接の役には立っていないとも言えるわけです。
 次の図は、ある大学の心理学科の大学卒業後の進路先です。

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大学では心理学を中心に学びながら、実際の就職先は多岐にわたっているというか、直接は心理学とは関係のない進路先です。これらの企業に心理カウンセラーなど、誰かの心のケアに携わる職種で入社できる人は稀です。心理学科を目指している生徒さんはショックを受けるかもしれませんが、心理学科がこの傾向が著しいのです。人の心に興味があって、心理学科はけっこう入試の難易度や倍率は高くて入試を突破し、学んできたのに就職には関係ない。もちろん就職してから、人の心を学んできたことが役に立つ場面はあるかもしれませんし、これから社会が変化していく可能性もありますが、現時点では雇う側は学部で心理学を学んできたことをプラス材料とか、採用する理由にはしていないのです。

 蛇足ですが、先ほど掲載した大学は就職先を分類してこのように円グラフで掲載しています。多くの大学は円グラフを出しません。取得可能な資格や過去5年分など中期間で企業名を並べているだけです。受験生に「心理学を学んでも、それをいかした就職は難しい」ということをまるで知られたくないかのようです。その意味で心理学部や心理学科で単年度の円グラフを掲載しているところは良心的といえます。

 心理学部や心理学科ではなくても、話は同じです。学ぶ場所は大学以外にもたくさんあり、学んできたこととは直接関係ない方面へ就職するとすれば、大学へ行く必要があるか、さらに大学へ通うとなると入学金や授業料、下宿する場合には生活費もかかります。たくさんのお金を使いながら、元が取れたのかを考えると「大学に行く必要があるのか」疑問が出てくる方がむしろ自然です。

 専門学校への進学を考えている生徒さんもいるでしょう。

 次の資料は、ある専門学校のHPやパンフレットです。一般に専門学校はHPやパンフレットづくりが大学よりも先行していましたのでわかりやすいメッセージを発しています。


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 専門学校のパンフレットを見ると、大学をライバル視というか「大学よりも実用的」、「即戦力」、「確かな技能」、「夢へ直結」というような表現が多くなっています。

 少子化の時代ですから、専門学校は生き残りをかけて、学生たちに確かな技術を伝授しています。資格を取得する専門学校なら合格率が大切になりますし、学生が望む就職先を毎年確保することも大切になります。よって、実績に自信がある専門学校はそれらの数値を毎年公表しています。

 学生たちはきちんと技能を身につけるために、厳しい毎日を送っています。先生方も学生が技能を習得するためキッチリ仕上げようと情熱的です。この密度の濃い時間は多くの大学生とは比較になりません。

 先ほど例としてあげた専門学校ではありませんが、いくつかの専門学校のHPやパンフレットでそれら取得率、合格率など数値をよく見ると、例えば「資格試験の受験者は30人、合格者は27人で合格率90%!」と大きく掲載されています。そのこと自体は間違いないのでしょうが、確かそのコースの定員や入学者は50人いるはずなのに受験者が30人?と気付くことがあります。厳しくて辞めていった?成績が悪い子は受けさせてもらえない?推測はいろいろできますが、それくらい厳しい世界なのです。
 この資格の取得率の手法は短大や大学の案内等でも用いられていますので、メディアリテラシーというか注意が必要です。もし学校説明会やオープンキャンパスに行く機会があったら、担当者に直接聞いてみて下さい。「この高い合格率は全員が受験しているのですか?」「この企業へは毎年就職できているのですか?」と。きちんと答えてくれる学校は信用できます。

 
もう一度、HPの例に戻ります。下の学校の例では、

「たくさんの専門知識が学べるので、大学生よりも一歩前に出られます。就職するときにスタートラインが違うのは大きな自信にもつながります」

という表現があります。大学よりも短い2年間で学び、大学生よりも早く就職しますのでスタートが早く、実務経験も積み重なるでしょう。まったくその通りです。
 では、あとから入ってきた大卒者とのスタートラインの差は縮んでいかないのでしょうか。給与面はもちろん、技能面でもです。このHPは他のページを見ても内容、実績面でも信頼できそうな学校です。それでも、伝えていないこともあるのです。

 別の話。ペット関係の専門学校を出たのに、求人がないためペット関係の仕事に就けないと聞くことがあります。ペットショップは大規模なところは多くないですから、誰かが辞めないと採用はありません。ペット関係に就職するのは簡単ではないのです。パンフレットや学校案内、HPに出ている「進路先」はとても大切な情報になります。
 パティシエや製菓の業界はどうでしょうか。いくつかの転職サイトを見ると「新卒のパティシエの離職率は1年以内で約70%、3年以内で約90%、10年以内になると約99%」などと出ています。どうも早朝から深夜まで下積み仕事ばかり、苦しい思いをして学んだことをいかす見通しが立たずに、疲弊してしまうようなのです。スポーツ関係の専門学校も同様の傾向がありますし、さらに40歳、50歳になった時の収入や体力が持つか心配も残ります。
 専門学校を考えているみなさんは、技能を吸収していくことは間違いないと思いますが、その業界の実態や見通しなど、少し先のことを考えてほしいのです。入学後の学校生活に厳しさがあるのは覚悟の上でしょうが、入試の難易度は高くないことが多いのですから、その分、業界選び、学校選びは時間をかけて調べて下さい。 最近は、専門学校のオープンキャンパスに行くだけで合格になる例や、「早めに手続きしてくれたら授業料が割り引き」という例もあるようです。そういうふうに生徒を集めようとする学校は疑問が残ります。

 蛇足かもしれませんが、こういうケースがないか心配しています。大学を目指していたけれども、受験勉強が苦しくて専門学校や短大を考えてはいないかどうかです。
 私も高三の時だったと思いますが、言い出したことがあります。恐らく受験で苦戦していたんでしょう、そんな時に、偶然、専門学校のパンフレットを目にしました。目にしましたというか、目に入るようになった。恐らく人はそれまでも同じように存在していたものでも、ある状態の時には視野に入らず、別のある状態になると視野に入ってくる。確かパイロット養成の専門学校だったと思います。パンフレットからは自分にとって楽観的な解釈しかしないままその気になっていきました。国家試験に受かった割合だとか、パイロットとは事業用なのか、自家用なのかなどよく見ないまま、卒業すれば国際線のジャンボのパイロットになれるかのように思い込んでいきます。今から思えばちょっとした熱病のようでした。その熱病がどうして醒めたのか思い出せません。母親から何か言われたような、友人に怒られたような気がしないでもありませんが、思い出せません。
 ただ、熱病のまま進路を決めなくてよかったと思っています。あの時は苦しみから逃れるために言い出していましたし、しかもそれは何か他人から羨ましがられるというか、一目置かれるような職業、自分が他人からどう見られたいかばかりを意識した選択をしようとしていたからです。

 杞憂であればいいのですが、もしあなたの選択がかつて私がそうなりかけたように、逃げであるのならとどまってほしい。逃げなくてはいけない出来事は世の中には存在しますが、そういう状態でないのなら踏みとどまってほしい。なぜならなぜなら後悔するからです。しかも、ずっと引きずっていかなくてはならない後悔になります。大学に行かなかったことに引け目や劣等感を感じて、高校卒業後は友人と連絡も取らない、同級会にも行かないというような例があると聞きます。そうはなってほしくないのです。

 逆に、そうではないなら、つまりここで述べてきているような心配やデメリットを理解した上で、大学に行かないのなら、あなたは大丈夫、安心です。

 専門学校や短大ヘ入学が決まったあとも、受験勉強を避けずに高校を卒業するまで熱心に学び続けた先輩たちがいます。最も自分が伸びる時期だと知っているからなのか、入学後も見すえているからなのか、何ごとも手を抜かない姿勢なのかわかりませんが、きっと信頼される仕事をしていくでしょう。自信を持った選択をしたのなら、コンプレックスを持つ必要は全くありません。

 大卒でなくても活躍している人はいる。

 大卒でなくても活躍している人はたくさんいます。そちらの方が多い業界もあるでしょう。次の図はネット上に掲載されている例です。見てみると、誰もが聞いたことがあるような勢いのある企業の経営者がいます。 


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 また、そのような華やかなというか、人目につくことが多い職業や企業ではなくても、活躍している人がいます。私たち公立高校の教員は他の職業と接する機会はあまり多くありませんが、それでも何かの折に接する他業種の方で「こういう人と一緒に仕事をしたいな」とか、こういう人は業界で「欠かせない人だな」と思える人に出会います。

 ただ、こういう反論もできます。大卒だったり、学歴があると活躍の邪魔になるのでしょうか。学歴があるがゆえに傲慢になって、ろくでもない仕事しかできなかったり、その傾向が強かったりするのでしょうか。

 問題は活躍していることと学歴の相関関係です。「活躍」の定義にもよりますが、活躍している人たちが学歴がないことが原動力になっていたり、学歴がないことで創造力や突破力が生まれているのかなどが判明すればいいわけです。しかし、そのような相関関係や割合を示したデータは見たことがありません。その一因はやはり「活躍」の定義が難しいためだと思います。
 少し俯瞰してみると、給料というか賃金は社会的に果たした役割、市場における価値に応じて支払われるので、一つの指標となります。ですから退職までの給料の合計額、生涯賃金がわかると活躍の度合いがある側面からは判断できます。生涯賃金についてはあとで述べます。

 しかし、シンプルに言って、問題は「人」なのではないでしょうか。専門学校卒でも活躍している人はいるし、そうでない人もいる。大卒でも活躍している人はいるし、そうでない人もいる。また狭い世界で恐縮ですが、私たち教員の世界でも、どこの大学を出ているかということと、生徒や同僚との信頼関係に相関は認められません。「○○大学を出ている先生はみんな素晴らしい」とか、「××大学出身の先生はみんなダメ」っていう傾向はないんです。あくまで人です。 

 ④お金のためだけに働くわけではない。
 高卒や専門学校卒、短大卒の人と、大卒では給料というか、生涯賃金で差が出ることは聞いたことがあるでしょう。早くから働けば早くから稼げますし、大学生は授業料や生活費がかかっているのだからその分費用がかかっています。それらを差し引けば、どうなるでしょうか。
 しかし、仮に生涯賃金が大卒の方が高かったとしても、人はお金のためだけに働くわけではなくて、やりがいだとか、自分をいかす仕事について日々暮らせればよいのではないか、という指摘もできます。これについては、また「その2」で述べます。

 


(7)その大学でなくてはならない理由② その大学に触れた経験

 「その大学でなくてはならない理由」を考える2回目です。2つ目の方法は、オープンキャンパス(以下OC)や体験授業へ行った時の印象を述べる方法です。
 わかりやすくなるように、仮にあなたが高校入試の前期選抜の面接官だったとしましょう。面接に来た中3生がこんなふうに述べました。あなたの高校に入学したい意欲を、あなたならどう採点、評価するでしょうか。


 「貴校は、歴史と伝統があり、先日の公開授業でも各教室に電子黒板が設置され、黒板が広くトイレもきれいでしたし、バス停からも近いので学ぶのに適した学校だと思い志願しました。」


 「貴校は、制服がなくて私服で登校していいですし、部活動への参加の任意で、しかも週2日間は休養日にあてられています。自由な校風に惹かれて志願しました。」


 意欲がある感じがするでしょうか。私は感じません。取り繕っている印象が強いです。工学部などの理系学部で実験設備が整っていることは大切ですし、24時間使える図書館があれば確かに魅力的ですが、国内で有数の設備でない限り、設備や建物は主な志望動機にはなりません。就活で完全週休2日制であることや独自の育休制度を設けていることなど、福利厚生が充実していることが主な志望動機にはならないのと同じです。
 OCや体験授業の印象を志望動機につなげたい場合には、人に関わらせることを勧めています。その大学や学部・学科に関係する人、別のところで先生に関連させる方法については触れましたが、先生だけでなくや学生、OB・OGなど人を志望動機にするのです。
 例えば、OCや体験授業に行った時の内容が、ちょうどあなたが学びたいことと直結していればそれを志望動機にすることができます。一番いい。が、そんなことは稀でしょう、そうでなくても例えば次のような例が参考になります。


「ハイ、他の学校にはない特徴があるからです。なぜなら、OCに訪れた際に案内して下さった学生さんがいたのですが、緊張する私たちを笑わせながら、丁寧に案内して下さいましたが、この大学の魅力について『先生方はあまり学生に干渉しないけど、研究したい分野は思いっきりできる設備や文献が整っている』と教えて下さいましたし、『私、高校時代はコミュ障で誰とも話しなかったのにこんなふうに変わった』という話をしてくれました。貴校は私たちの力を伸ばしてくれると共に、自らを変えるチャンスを与えてくれる学校だと感じたからです。」


「ハイ、大学見学会で訪れた時の印象が忘れられないからです。なぜなら、案内して下さった〇〇先生がカイコのクズ繭で油を吸着する実験を見せて下さり、捨ててしまうクズ繭が水質浄化や環境保全に役立つことがわかりました。私が興味があるのは繭ではありませんが、捨てられてしまうような素材や身の周りでありふれている素材が世界に役立つ可能性があって、そういう研究をどんどん考えることができる貴校に惹かれたからです。」


 入学後の学びの設計には少し甘さがありますが、大学の実際の姿を見たことを伝えています。時間と労力を費やして、机上だけではできない表現、私にしかできないオリジナルな表現ができます。
  ここまで「その大学でなくてはならない理由」を見つける方法として、その大学のパンフレットやHPからあなたが学びたい最も近いものをピックアップする方法、オープンキャンパスや体験授業へ行った時の印象を人に関わらせて述べる方法の2つを見てきました。

 よかった例、これまでの自分を振り返り、相手の大学を調べた例を挙げます。

スライド24よい例フォント
  面接練習をしていて、この生徒さんが自分を振り返った過程を想像して、涙が出ました。きっと入学したら、いじめを防ぐための有効な研究をして、その姿勢やノウハウを身につけた教員になってくれると予想できます。つらい経験だって、志望動機になる。いや、つらい経験を振り返って、自分の未来や使命に生かすことができるのです。


(8)覚えていることができるか。そして緊張のピーク


 これまでのように面接練習してくると、けっこう答えられる自分に気付きます。自分のことも大学のことも見えてきたし、表現したいこともハッキリしてきました。そうすると新しい問題が生じます。それは「本番までに、その答えが覚えていられるか」です。
 結論からいえば、暗記する必要はありません。面接官の方も、暗記している台詞を呪文のように聞かされることは嫌なものです。たまに、本当にぶっつけ本番、面接練習も自分を振り返ることもしてきていないという受験生がたまにいて、「何しに来たの?」「うちの大学も舐められたもんだ」というケースもありますから、それよりはしっかり準備した方がいい。でも暗記は必要ではありません。
 また、大学のアドミッションポリシーやHPを調べる作業を即席でしてきたからでしょうか、それらに使われていた言葉をオウム返しのようにアピールしてくる生徒がいます。自分の言葉で語ることができていません。「御校のことをキチンと調べたんです」、「私は御校に沿った生徒です」とアピールしたい気持ちはわかりますが、大事なのはそこではありません。
 大事なのは、繰り返しになりますがあなたが学びたい、解決したい計画と大学が持っているメニューをつなげること、「私が学びたいこれを解決するためには、お宅の大学がベストなんです」というつながり、マッチングです。

スライド13マッチング

 高校受験の前期選抜をしていると、面接官に「いいなあ」と好印象を与える生徒がいます。なぜ好印象なのでしょうか。
 ・暗記していない。
 ・時々、笑顔が混じる。
 ・スラスラというよりは、ゆっくり話す。
 一言でいえば、自然体、平常心。合否のかかっている面接にのぞんでいるとは思えないほど、普通にしています。
 先ほど、ぶっつけ本番、面接練習も自分を振り返ることもしてきていないという受験生がたまにいることを紹介しましたが、矛盾するようですが、稀に結構いい面接になって、合格する場合があります。長い時間をかけて自分のことを振り返り、練習してきた受験生からすると腹立たしいことでしょうが、その稀な場合とは、例えばこういう場合です。
 小さいときから昆虫が好きで野山を駆けずり回って、いろいろ調べてきたのでその道ではかなり専門性が出てきて、第一人者の先生や大学もわかっていて、大学入学後も何を突き詰めようとしているかハッキリしているような生徒。面接における表現は荒削りですが、やりたいこととやってきたことの軸ができているので評価されます。これはレアなケースですが、新しい入試方法に適合しています。
 けれど、多数派の受験生はそうはいかないでしょう。ここで伝えたいのは、そういう練習せずに合格する生徒が存在するくらい、暗記ではなくて、入学後の設計や志望動機のような軸が大切だということ。

 平常心はどうやったら身につくのでしょうか。
 今までで一番緊張した出来事は何だったか、思い返してみましょう。
 部活の大会で勝敗がかかった場面、コンクールで幕が上がる瞬間、文化祭で発表した時、初めてのデートの待ち合わせで約束の時間が迫ってきた時‥
 一番緊張した出来事は人によって違います。なかなか一度や二度の経験で「もうどんな場面でも緊張しない」なんて人はいないでしょうし、今回は合格、不合格のかかった面接です。多くの人が「今までで最も緊張」する場面になると予想されます。
 面接が始まってしばらくたつと緊張もほどけてきます。が、最初の一言を発する前、面接室に入るために、ドアをあけるあたりで緊張はピークになるでしょう。手に汗握っている自分、季節は冬なのに、背中や脇の下から汗が落ちてくる自分に気づいたりして「あー、ヤバイ」となります。
 どうしたらいいでしょうか。
 正解はわかりません。ただ「悲観的に準備し、楽観的に対処する」ことかと思います。つまり、自分が思う最悪の事態を想定して、次に、もしそうなったら「こうしよう」と準備しておくことです。繰り返しになりますが、
 ・「どんな場面でも緊張しない」なんて人はいない。
 ・面接官は、噛んだらダメ、つまったらダメ、なんて思っていない。
 ・暗記する必要もない。
のです。問われていることは基本3種類。「あれだけ考えて、準備しておいたんだから」、「やるだけのことはやっておいた」と思えれるよう備えておきさえすればいいのではないかと思います。丸暗記で呪文を唱えるように表現するのはよくないのだから、忘れたらどうしようなんて考える必要もありません。

 先輩たちの受験報告書を蓄積している学校もあるでしょう。毎年聞かれていることや、よく聞かれる質問は繰り返し練習する。滑らかに淀みなく答えられるようになる。しかし、その暗記した分だけ気持ちの本気さや熱が伝わらないとしたら結果も良くないでしょう。大切なのは伝えようとする内容なのであって、淀みない表現ではありません。途切れ途切れでも、身振り手振りでフォローしても全然構わない、言い直したって構わない。過去の自分、志願している自分、未来への計画を伝えてください。

 最近は「噛んだらどうしよう」と緊張するらしいのですが、何回噛もうと、合否には関係ありません。上手くしゃべれないことはマイナス材料にはなりません。面接では面接官や面接室によって採点基準がズレないように評価表、ルーブリックを手元に置いています。言い直したからマイナス点、チェックを付けたと言う例は聞いたことがありません。「おなかが鳴ったどうしよう」と言う生徒さんもいますが、同じです。おなかがどれだけ大きな音で鳴ってもそのことで不合格にはなりません。大切なのは、あなたが伝えようとしている内容です。丁寧に一生懸命話せば、必ず伝わります。アナウンサーではないのだから、スマートでなくたって少しも構わない。この点はも誤解しないで臨んで下さい。

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