人生に意味を見出せない苦しみ
戦い続けることへの苦しみ

 少し重たい苦しみを感じる場合もあります。この苦しみは全員が感じるのではないでしょうが、できれば避けたい苦しみです。
 それは受験勉強に取り組みながら、こんなふうな毎日を過ごすことにむなしさを感じる場合です。苦手な教科がある人は「アーもう嫌だ、数学のない世界に行きたい」とか時々感じるでしょう。それは当たり前。これから触れる苦しみはそれとは違います。
 受験そのものやこうして受験勉強して出た結果に対しても、またその先の就活や仕事をしていく人生そのものに「こんなふうに生きていかないといけないんだ」、「これからもずっとこういう努力や競争していかないといけないのか」、「仮にうまくいったとしても、その先にどれほどの意味があるのか」と思うような苦しみです。意味を感じることができない苦しみ、戦い続けることへの苦しみと言い換えてもいいかもしれません。

 このような苦しみを感じていないあなたは、これ以上読み進める必要ありません。
 読んでしまったばっかりにすべてに意欲が持てなくなることもありうるからです。見なくてすむなら見ないほうがいいパンドラの箱、こういう苦しみを感じていない人は、受験勉強に戻りましょう。

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 人生に意味を見出せない苦しみを感じていない人は、これ以上読み進める必要はありません。

 人生に意味を見出せないような苦しみ、こうして生きていることがむなしいという苦しみが生じてくると、受験勉強もなかなかガンバレない、集中できないので結果も満足いくものにはならないでしょう。見える世界も少しグレーになります。慢性化もしますし、ため息も出やすくなりますし、無気力になります。何となくわかってくれる人もかもしれませんが、私もこんなふうに思う時があります。「このまま誰かを困らせないように、苦しまない方法で人生を終わらせることができるんだったら、それはそれでいい」と。こうなるとちょっと心配です。ですから、素人が書いているこんなブログを読むより、いまはあちこちに信頼できる相談窓口(文部科学省厚生労働省)がありますから、ダメ元で電話やLINEをしてみたり、身体もしんどくて症状をやわらげたければ、医者、ストレス・クリニックに行ったほうが早道、安心です。

 一方でこの苦しみは本質的というか、じっくり考えたい苦しみでもあるのです。できれば受験勉強している今ではなくて、大学に入学したあとの方がいいんですけど。
 「人生とは生きるに値するのか」この苦しみに対しては、私のようなおじさんになっても暫定的な答えしかまだありません。ちなみに「人生に目的はない」と述べた代表的な人物はニーチェです。こんなふうに述べています。

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 人生の目標や生きる意味などというものは無い。そういう思いにとらわれると、全てがむなしくなって無駄な浪費だと感じ、慰めや支えも見いだせないと考えるようになってしまうことを指摘しています。そんなふうに思う時はありますか?「意味ない」が口癖だったり、世の中で話題になっていることを「そんなこと大したことじゃない、無駄」と思ったり、誰かがやさしい言葉をかけてくれても素直には受け取れなかったり、一生懸命何かに打ち込んでいる人を心の中で馬鹿にしたり‥。こうなるとニーチェのいうニヒリズムに入り込んでいます。

 一方で、ニーチェは「だから、こんなふうに生きよう」というメッセージも発しています。ここでは深入りできませんが、「人生とは生きるに値するのか」、「人生の目的は何か」という問いは古来からあらゆる文学、宗教が問うてきた問いです。ここで簡単に答えが出るはずもありませんが、深みにはまってしまった人もいるかも知れないので、参考になる著作を紹介します。それは諸富祥彦の『〈むなしさ〉の心理学』、『人生に意味はあるか』です。
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 著者は千葉大や明治大で教えてきた心理学の先生、カウンセラーでもあります。
 大学での授業の様子です。

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 大学生がこういう苦しみを持ちやすい時期であることに加えて、その苦しみにきちんと向き合うことが少ないこと、大事な選択を主体的にはしないで「自分と周囲の間に生まれる波長にあわせて、フワフワと漂うように生きている」と著作の中で指摘しています。
 著者自身が14歳の頃から「人生に意味はあるのか」苦しんできました。心配なので皆さんには、著作の結論を伝えます。
 人生に意味はある、です。その結論の根拠、結論を見出した経緯、代表的な人々が「人生に意味はあるか」の問いをどう考えててきたのか等、詳しいことはネタバレになってしまうので、ここでは伝えませんが、著者自身の経験に基づいて述べられていますし、カウンセラーでもあるのでお説教を嫌いますから読みやすいと思います。もしこの苦しみにとらわれているようだったら、一読してみて下さい。
 
 さて、ここまで受験期の苦しみについて見てきました。TVに出ているクイズ王とか頭脳王と呼ばれる人たちが、受験の意味について似たようなことを著作の中で述べています。

「今振り返ると、受験勉強は、その後の僕の人生に役立ったと思います。学歴や勉学の話ではありません。自分を目標の前に立たせ、攻略法を考え、自己分析で弱点を直視し、一日一日進んでいく。その過程で、今後の人生での難題への向き合い方を、わずかばかりでも知ることができた、そんな気がします。」

(伊沢拓司 『勉強大全』 角川書店 2019年)

「人生、何度か『頑張りどき』が来ます。その一つが受験だと思うのですが、そこを頑張って乗り切ると『自分は頑張ることができた』という自信がつくんです。…大学受験の勉強で、まずやるべきことは『情報収集』です。…情報収集なしに試験に臨むということは、スマホの地図アプリ無しで知らない土地に行くようなものです。…この『情報収集→計画立案→実践&修正』という流れを自分で体得することはその後の人生でも大きく役立つはずです」

(粂原圭太郎 『「やる気」と「集中力」が出る勉強法』二見書房 2016年)


 合格のためではなくて、人生のため。これは別のところでも見る、親の期待や願いとも重なっています。
 ちなみに私自身は、この苦しみというか空しさに対して、浮き沈みはありますが、だいぶ薄れてきつつあります。熱中するような趣味はあいかわらず見つかりませんし、外見や消費、SNSで自分を表現したり支えるような、そんなに楽観的になれない、パーッとはじけられないと思っています。が、これも別のところでも述べましたが、人をあらわすperson、人格や性格を意味するpersonalityの語源は、ペルソナ(persona)、仮面や劇中の登場人物でした。仮面というか、本当の自分とは違うような、でも全く違うと言ってしまうのも違うような役割や立場を、演じるというか果たしていることが、そんなに苦痛ではない場面が増えてきています。周りや他者っていうのは自分が思っているよりは自分のことを真剣には考えてくれないのはしょうがないのに、何となく認めてくれている気がする、周りや他者からの視線が自分の行動の基準ではないとしても、自分の行動の基準もそういう視線が苦痛なだけではなくなりつつあります。「こちらの仮面も悪くないかも」、「他の仮面もあるのかもしれない」という感じです。一方で、苦しみや空しさはぬぐい去られたわけではありません。

 もう一度、苦しみに関する先輩たちから後輩へのメッセージを紹介します。


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 ユーモアの中にも真剣に何かを伝えようとしていることがわかります。先輩たちがこれらの言葉を残した時期は、卒業式の直前です。自分も受験中で忙しい中、別に書かなくてもいい任意のアンケートですが、こんなふうに書いてくれるのはなぜなのでしょうか。先輩たちも何かを皆さんに伝えようとしています。言葉から、それらの行間から何が読み取れるでしょうか。