イエスの後継者、パウロとアウグスティヌスを理解します。
 意外なことですが、イエスはキリスト教をつくった人ではありません。キリスト教ができたのは、イエスの処刑後、イエスを救世主と信じる人々によってです。最初の中心人物は、処刑後の復活を目撃したペテロが教会を設立します(初代のローマ教皇、法王という位置づけです)。
 次にパウロ、パウロは元々はイエスたちを迫害する側、パリサイ派でしたがイエスの声を聞き「回心」します。その上で「なぜイエスは死ぬ必要があったのか」を考え、彼のキーワードである「贖罪」や「信仰義認」、「信仰・希望・愛の三元徳」の考え方を見出していきます。これもおおざっぱに言えば、イエスは罪深き人間の身代わりになって死んだ、神の愛は最愛の子、イエスを犠牲にするほど大きいのだから、律法を守るとか善い行いで救われるのではなくて、信仰によってのみ義とされる(正しいとされる)と考えました。パウロはユダヤ人以外へ布教し、世界宗教になる基礎を築きます。
 教父アウグスティヌスのキーワードは、「三位一体説」、「恩寵」、「神の国」あたりです。アウグスティヌスも若い頃はワルでしたが、彼もまた声を聞いて回心した経歴を持っています。キリスト教が広がるにつれて、イエスの教えを理論的に体系づける必要が出てきます。この頃のテーマとしては、「イエスは人なのか、神なのか」(「イエスを産んだマリアは『神の母』なのか」)や「イエスの像は認められるのか」などがあります。が、あとを引くのは、「人間に自由意志はあるのか」です。
 ワルさをしてきたアウグスティヌスは、「絶対に善であるはずの神は、なぜ悪をつくったのか」を考えます。ワルさをしてこなければ考えられないテーマですね。結論は、人間は善い行いをする自由は損なわれている、人間の自由意志はない。この人間の弱さを救うのは、神の無償の愛、「恩寵」によってのみ、と考えます。ざっくり言えば、人間は悪、善いことができるとすれば、それは神の愛によって、です。
 こうやって、イエスの後継者たちは、理論としてまあ気難しくなっていきます。細かいニュアンスは、教科書を読むだけでは流してしまうので、過去問を解いて輪郭をハッキリさせていきましょう。
倫CS08表
倫CS08裏