(5)結論は何を伝えるべきか(志願理由系、志望動機)

 総合型選抜では中心に志望動機、志願理由があります。
 下の図がそのイメージ図です。志願理由が固まれば、面接はもちろん出願時に志願理由書が課されていても、過去系の活動報告書のような書類、未来系の学びの設計書のような書類があっても、生かすことができます。

スライド9中心は志望動機

 志望動機も具体的に仕上げていきましょう。これまでは過去系を中心に具体的に見てきましたが、志望動機を構想する際も、同じように初期は問いを分割してみると整理できます。急がば回れ。
 繰り返しになりますが、多数派は「その大学でなくてはならない理由」は、ありません。ランキング表上位の人気校だから志願していることが多いでしょう。でも「御校は偏差値が高い人気校なので、志願しました」と言う訳にはいきませんので、通用するタテマエをつくる必要があります。「タテマエをつくる」と述べましたが、嘘をつくのではありません。むしろ逆です。本音を見つけるのです。
 その大学でなくてはならない理由は無いとしても、学部、学科にはなんとなく理由があります。なぜ自分はその学科を目指しているのか、本音を探してみます。そのために、次のように問いを分割してみます。これらを静かに自分に問いかけてみましょう。何が見えてくるでしょうか。


「その学部や学科へ行きたい本音は何なんだろうか」
「その学部や学科を選んだのはいつ頃だったろうか」
「今まで興味を持った学部や学科の候補の共通点はあるだろうか」
「その学部や学科を選ぶ際に、最も大きな影響を与えている人物は誰だろうか」
「その学部や学科を選ぶ際に、最も大きな影響を与えた出来事は何だろうか」
「そこへ入学したあと、最も理想的にはどんな研究を、どんな方法でしていきたいのか」


 本音を探してみると、こんなふうになります。

「親が教員なので、絶対教員は嫌だと思っていたけど、誰かの力になりたいという思いはずっとあって、中2の時に就業体験でデイサービスセンターに行った時に、上手くできなかったのにお年寄りが泣いて喜んでくれる姿を見て強く思った。誰かの力になるために人を学びたいし、将来も限定されないので人文学部か経済学部」


「親がメーカーに勤めているので、振り返ってみると小さい時からものづくりが楽しくやりがいがありそうだと思ってきた。自分も嫌いではないのでメーカーで働きたいので工学部。できれば地元にあるE社でプリンターではなくて、画像や映像をもっと幅広い世代が活用できる何かを開発したい」


「自分はサッカーをしてきたが、いくつかのメーカーのシューズを履いてみて、どうしてもM社のシューズがフィットするし耐久性や機能性もあって気に入っている。ただデザインや革新性は今ひとつ。いずれはM社でサッカーシューズの開発に携わりたいので、M社へ多く就職している大学の工学部か繊維学部」


「TVでネットカフェ難民についての番組を見て、国内の貧困が予想以上でびっくりした。自分がこれを知らなかったことに憤りも覚えた。なぜ放置されているのか社会のしくみや制度を知った上で自分が力になれないかと思って、法学部、弁護士という道も考えたけどちょっと違う。高2の頃から社会福祉士になるために福祉学科や経済学部へ行こうと考え出した。資格を持って地元の市役所で公務員になり、福祉課へ勤めたいが、地方自治における福祉現場の現実と理想のギャップを大学で学びたい」


「南北問題に関わる授業を受けた時に、途上国の子どもたちが児童労働をして学校に行けないことを知った。背景にある貧困を緩和する一つの方法は熱帯地方の農業の生産性を高めることだと思ったので、その方法が学べる農学部。以前は医学科にいきたいと考えていたけど、学力的に難しい。でも中村哲さんの活動ようにたくさんの人が救えると知ったので農学部。英語も好きだし、国際的に活動したいので留学もしたい」


 その学部や学科を選んでいる何らかの理由があります。別のところで述べましたが、それらが決まらない、見えないので教養学部やリベラルアーツ学部、入学した後に専門を決める総合入試というケースはあるでしょう。また隣接する学部で絞れない、例えば法学部と経済学部と社会学部が絞れないケースもあるでしょう。しかし全く興味のない学部は眼中に入ってこないというか、志望しないものです。多くの受験生はそうはいっても何らかの理由があります。
 上の例を見てもらえれば、学部・学科の志望動機は過去の自分、将来の自分とつながっていることが確認できますし、もう面接の志望動機として結構できあがってきていることもわかってきます。ここまでは自分の中にあったものを顕在化、気づいて外に出しさえすればいいのです。さあ、本音を書き出してみましょう。それが志望動機のスタートラインになります。


 さらに上級に近づいていきましょう。なりたい職業や仕事がある人は、それを考えるようになった動機を掘り下げていくと、見たくない自分が見えることがあります。
 例えば、医師になりたいと考える人が、それをとらえ直す過程でこういう自分に気づくことだってあり得ます。

「自分は理数系が得意で、他人よりもできる。クラスの誰も解けない問題ができて、先生にも誉められたし、クラスメートから『すごいなあ』とうらやましがられもした。だから人からうらやましがられる職業として医師になりたい」という自分。

 例えば、教員に足りたいと考えてる人が自分の未来や夢をとらえ直す過程で、

「自分は誰かの役に立ちたいから教員になりたいんだと今まで思ってきたけれど、振り返ってみるとそう思ったのは中2の秋、親友からシカトされた時からだった。あの時強く思ったのは『自分のような思いをする生徒がいないように』と思ったけれども、それより強かったのは『二度とあんな寂しい思いをしたくないから。誰かから必要とされる存在、そんな職業に就きたい』と思った」自分。

 他にも、途上国で農家が自立できるように農業を教えたいと考えている人が、

「途上国の貧困や児童労働を是正したいと思ってきたけれど、考えてみるとそう思ったのは、本当は医師として途上国に行きたかったけれど、学力的に難しいことがわかった高1の秋だった。国内のありきたりな職業では自分が埋没してしまいそうだから、活躍しているイメージがわきやすい国際的な農業技術者」という自分。


 そういう自分を見つけるのは、苦しさを伴います。けれど、もしこんなふうに自分をとらえ直すことができたなら、ぜひ君の将来や夢を実現して欲しいと願っています。こんな自覚がある医師や教員、農業技術者こそ世の中にいてほしい、必要とされて欲しいと思うからです。「誰かのために」生きることに、エゴというか「自分のため」も含まれている自覚。純粋で無欲に「人々や世界に尽くす」自分だけではなくて、ドライな計画や自分の傷が含まれているという自覚。それらは大人に近づいている証拠です。自分を見つめるもう一人の自分と出会えたし、これが「考える」ということです。面接や志願理由書でそこまで表現する必要はないでしょうが、少なくともこうやって自分を見つけることができたことが、必ず君の表現を、血が通った本物に変えていきます。