今回は江戸時代の国学を理解します。
 国学は古学派の影響を受けています。古学派はもともとの孔子らの教えに戻るために、原典にあたる方法をとっていました。とすれば日本の原典にあたれば、日本古来のオリジナルの精神がわかると考えたのが国学です。古学派は『論語』や『孟子』など中国の古典にあたりましたが、国学は『万葉集』や『古今和歌集』、『源氏物語』や『古事記』にあたります。国学は古学派の方法から刺激を受けて発展していきます。
 人としては契沖、荷田春満、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤らですが、うしろの3人が重要です。
 賀茂真淵は、『万葉集』にあたります。そこで見出されたのは男性的でおおらかな「ますらをぶり」と、力強くありのままの「高く直き心」でした。儒教や仏教の影響でこざかしい知恵、「からくにぶり」や繊細で女性的な「たをやめぶり」がもてはやされるようになったと批判します。
 本居宣長は、真淵から影響を受けていますが、

「実(まこと)の情(こころ)というものは、女童のごとく未練に愚かなるものなり。男らしくきつとして賢きは、実の情にあらず。それはうわべをつくろひたる飾りたるものなり」

と、「たをやめぶり」を肯定しています。「たをやめぶり」を真淵は批判し、宣長は肯定。少しズレますが、男らしさは、うわべの飾りに過ぎないという考え方は、今でいえばジェンダー、性別役割をとらえ直したとも言えます。
 真淵の遺志を継いで『古事記』の研究を深めた宣長は、生まれながらの自然な感情、「真心」や、事物にふれたときの感情、「もののあはれ」こそ日本古来のものと考えます。儒教や仏教の理論や道理によって理解しようとする「漢意(からごころ)」を捨てたところに「真心」があるとし、古来の神々や天皇の統治はそれが受け継がれてきた「惟神の道(かんながらのみち)」だとも言うのです。
 神話でスサノヲがアマテラスに会おうとしたとき、私心や敵意がないことを示さなくてはなりませんでしたが、こういうふうに嘘や偽りのない、後ろめたい気持ちがないことが古来から求められたと考えられました。
 平田篤胤にうつります。彼は真淵や宣長とは面識はありませんが、儒教や仏教の混じっていない「惟神の道」が復活した神道、「復古神道」を発展させようとします。幕末が近づくと神々の子孫である天皇の絶対性を説く「復古神道」は、討幕運動に大きな影響を与えます。とまあ、平田のキーワードは受験的には「復古神道」なのですが、神道が明治政府と結びつくことによって、例えば廃仏毀釈という仏教への弾圧があって、多くの寺院や仏像が壊されていきます。今でも首が取れている石仏があちこちに見られるのは、純粋な日本らしさを求めた平田の影響ともいえます。
 俯瞰します。留学したり、海外文化に接すると「日本文化とは何か」を否応なしに考える、と言われます。同じようにグローバル化が進んで国際的な基準で生活するほど、人々は日本の文化について意識するようになり、そういう風潮があちこちに見られます。それは自分らしさを探る作業と重なるところがあるでしょうが、本来の日本らしさとはいったい何でしょうか。そもそも日本らしさを求めるのはなぜで、日本らしさを追求した結果や影響は何でしょうか。ここでは答えを出すことはできませんが、国学をこうやってかじることでヒントというか、対象化する視点ができそうです。
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