高校 政経・倫政の補習講座

大学入試に向けた知識、学んだことと生活を結びつける知恵を提供します。

タグ:アタラクシア

 今回はアリストテレスと重なる時期のヘレニズムの思想を見ます。
 アレクサンドロス大王によってポリスは崩壊、世界国家(コスモポリス)に変わっていきました。ポリスという拠り所、心の故郷を失った人々はアリストテレスたちと異なり、個人の内面的な自由や平安を求めます。今と似ていますか?
 ストア派とエピクロス派はそれぞれ禁欲主義、快楽主義と訳され、禁欲と快楽ですから正反対のように見えますが、驚くほど似たことを述べています。でもそれを区別する。
 ストア派は、彼らが講義した神殿の柱(ストア)から名付けられていますが、英単語のstoic=禁欲的な、ストイック、の語源だと考えると身近になります。ポリスという心の故郷を失っても、自然界がポリスにかかわらずに人類に共通する論理、ロゴスを持っているように、人間も自然にしたがって生きればいい、それはどういう状態かというと喜怒哀楽などの情念(パトス)や欲望などから動かされることのない動揺しない状態、不動心=アパティアです。パトス(情念)にギリシャ語の否定型a-が付いて、アパティアです。「自然にしたがって生きる」ことが世界市民としての心の境地としたのです。
 難しい話をします。ストア派は「自然に従って生きる」とも述べていますが、この自然や宇宙の原理と人間生活の一体化を求める考え方は、プラトンやスコラ哲学、ウパニシャッド哲学や老荘思想にも見られます。
 一方、エピクロスたちです。こちらも快楽趣味の、美食家の、を意味する英単語、epicurean エピキュリアンを思い浮かべてもらうと身近になります。エピクロスたちは最高に善いもの、最高善は快楽だと考えます。この快楽こそが善、という考え方はのちの功利主義(というか現代に生きる功利主義)に影響をおよぼしますが、それはいったん置いておきます。ところがエピクロスたちの言う快楽とは、ぜいたくや虚栄など一時的なものではなく、死の不安や飢えない、渇かない、寒くないから解放された最小限で、永続的な快楽のことを指します。この理想の状態を「心の平静」=アラタクシアと呼び、「ひとかけらのパンがあれば足りる」として、実際に彼らは心を乱す世俗から離れて、「隠れて生きよ」とひっそりと生活してます。快楽主義というよりは反苦痛主義という感じに近いです。今で言えばミニマミスト、学校内でもこういう気持ちがわかる時がありますね。
 アタラクシアのために、死の不安がないことをあげました。ソクラテスも同じようなことを言っていましたが、「我々が存するとき、死は現に存せず、死が存するとき、我々は存しない」と述べたのはエピクロスです。


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 今回の単元は、ヘレニズム期の思想と、宗教にはいってユダヤ教を理解します。

 エピクロス派とストア派は、それぞれ快楽主義と禁欲主義という対称的な考え方をします。
 ただし、よく見ていくとそのキーワード、アタラクシアとアパティアは驚くほど内容が似ています。もっとよく見るとその後に与えた影響はだいぶ違いますが、大きな帝国ができて故郷やよりどころを失った人々が、個人的な心の平安を求めたことがわかります。詳しくは過去問のページへ(CS倫理 No05 ストア派とエピクロス派 : 高校 政経・倫政の補習講座 (myjournal.jp))。
 それはクローバリズムが進みナショナルなよりどころを失った現代人が、癒しや個人的な喜びを見出そうとする姿に似ています。一方で逆の動き、失われつつある結びつきや故郷の復活を求めて、ナショナリズムが台頭している姿も目立ちます。ヘレニズム期は「理性」という人間の共通点への信頼がありましたが、現代はどうでしょうか。

 時期は全く異なりますが、ユダヤ教については、十戒と(旧約)聖書を、内容を見たら「あ、これはモーセの十戒」と判別できる状態にして下さい。

ヘレニズム、ユダヤ教
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