今回は1950年代中頃~の冷戦の展開を理解します。
 冷戦の対立中、別の動きの萌芽がありました。一つはアジア・アフリカ諸国の独立で、非同盟主義や反植民地主義など大国を牽制する動きを見せます。
 もう一つ、東西両陣営はそれぞれの内部で対立するようになります。社会主義陣営ではソ連のトップがフルシチョフになり、フルシチョフは1956年にスターリンを批判します。「スターリンの粛正や独裁は誤りで、真の社会主義ではない」と至極まともな批判です。ところが社会主義国の多く、とりわけ中国はスターリン型の国づくりをしていましたので、中ソが対立するようになり、実際に軍事的にも衝突します。
 外交上の常識で「敵の敵は味方」という論理がありますが、アメリカにとって敵であるソ連、そのソ連と対立する中国は味方になり、アメリカのニクソン大統領は1972年訪中します。
 一方、西側の内部でも足並みが乱れてきました。焼け野原から復興したヨーロッパ諸国は、アメリカの言いなりではなく、独自外交をします。フランスがNATOの軍事部門から脱退したり、ソ連を訪問します。ドイツも東方外交と言って、東側諸国のとの関係改善を独自に進めます。EC(現在のEUの原型)ができていくのも、脱アメリカの動きでもあるのです。
 スターリン批判にともなう中ソ対立、それによる米中接近など「アメリカ陣営対ソ連陣営」という図式にとどまらない動きが出たことを「多極化」と言い、米ソの緊張は緩和します。これをデタントと呼びます。


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