ソシュールが示した構造主義以降、「世界は言葉で分節されている」、「世界は言葉でできている」という考え方が主流になります。いやそうは言っても例えば科学技術は依然として使われている、言葉でできている訳ではないように見えるのですが、科学の方法それ自体や、科学の位置づけの転換がはかられているのです。
 例えばクーンのキーワードは「パラダイム」や「科学革命」ですが、それまで科学とは実験やデータの積み重ねによってだんだん真実に近づくものだと考えられてきましたが、実際はデータを読み込む思考の枠組みが変換(パラダイム・チェンジ)されて、連続的にではなく断続的に変化します。ちょうど天動説で積み重ねられてきたデータが、地動説で考えた方がピッタリきたというように。ポパーの「反証可能性」、クワインの「ホーリズム」、クーンの考え方を区別しましょう。
 ウィトゲンシュタインも難解な哲学者の一人です。しかも前期と後期で考え方が変わります。前期の「写像理論」、「語り得ないことについては沈黙しなければならない」と、後期の「言語ゲーム」は異なっています。おおざっぱに言います。前期の「写像理論」は科学は現実と事象と対応しているので真か偽かが確定できるが、神や道徳は現実と事象と対応していないので、真か偽か確定できない。確定できない以上「語り得ないことについては沈黙しなければならない」と考えていました。
 後期になると、言葉とは使われる文脈で意味が変わる、同じカードなのに複数の意味で使えるトランプのようなもの、「言語ゲーム」だとしました。と同時に科学で使われる言葉もまた同じで、イデア界にあるような完全なものとは言えないのではないか、と考えるようになります。
 これらは、科学技術の実用性を前に沈黙を強いられていた人文系の人々が、科学者に対して主張ができる根拠になっています。
 下の(3)に出題されているアマルティア・センは政経でも出てきます。センのキーワードは「ケイパビリティ(潜在能力)」や「人間の安全保障」で、貧困や格差を防ぐ経済政策を立てようとします。本文を読み取る、読解の出題ですが、この本文によって彼の考え方がわかります。①~④の選択肢からだけでなく、本文まで読みこめると理解が深まる一例です。

倫CS36③表
倫CS36③裏