今回は実存主義の2回目、主にヤスパース、ハイデガー、サルトルの3人が中心になります。
 合理主義や実証主義など科学的に真実を見出そうとする動きに対して、そのような客観ではなく、私にとっての、個別の人間にとっての真実、キルケゴールの言葉でいえば「主体的真理」を見出そうとするのが実存主義でした。
 それぞれキーワードがありますが、キーワードの概略をいったん理解した上で、その後に問題を解いていきましょう。出題は実存主義者を区別させることが多いので、正解や不正解から直接出題されている人以外の考え方がついでに理解できるからです。

 ヤスパースのキーワードは、「限界状況」、「包括者(超越者)」、「実存的交わり(愛しながらの闘い)」の主に3つ。キルケゴールと同じように神を否定しないところも特徴的です。 
 ハイデカーは「20世紀最大の哲学者」といわれ、その内容は難解です。キーワードは「ひと(世人、ダス・マン)」、「現存在」、「世界-内-存在」、「死へとかかわる存在」、「故郷の喪失」などで、表面的には難しくない感じがしますが、資料集に出てくる原典と照らし合わせると、表現が回りくどかったり、何を意味しているのかわかりにくいのです。厳格に表現していてその意味を解き明かして、生を明らかにしていくのが哲学かもしれませんし、大学で哲学科へ進めば、厳格な意味を理解することがひとつの目的となるでしょう。ただその難解さに今深入りしすぎても混乱するだけですし、出題者が受験生に対してハイデガーの全貌を理解すべきと考えているとは思えません。ですから、シンプルに「人は『死へかかわる存在』として、誰も代わることができない死を意識しながら、自分の生を精一杯生きるべき」と考えた、ととらえた方がいいと思います。
 ヤスパースとハイデガーはナチスを経験していますが、その経験の仕方は対照的です。ヤスパースは妻がユダヤ人であったために妻との離婚を勧告され、それを断ったために大学教授を辞めさせられます。やがて妻は強制収容所に送られることが決まり、ヤスパースは二人で死ぬことを決意しますが、妻が移送される直前、連合軍によってナチスは追いやられました。一方ハイデガーの方は、ナチスに入党、ナチスを賛美する講演を行い、大学の総長にのぼりつめています。というと、ハイデガーの方に嫌悪感を感じるかもしれませんし、事実そういう扱われ方もしますが、ハイデガーが述べた「世人」に陥らず本来的な自己を生きるために「死」との関係で考えたこと、思想の内容は、彼の生涯とは別として、参考にできると思います。
 サルトルに移りましょう。サルトルのキーワードは、「実存は本質に先立つ」や「人間とは自らつくるものにほかならない」、「自由の刑」、「投企」や「アンガージュマン」などです。
 おおざっぱに触れます。目の前にある鉛筆やスマホは「何のためにあるのか」という本質がありますが、それぞれの人間には「何のためにあるのか」が定められていません。ずっと神によって定められてきたのに神はいない。いつでも自分自身で決めることができます。自由です。これをサルトルは人間の「実存は本質に先立つ」、「人間とは自らつくるものにほかならない」と表現します。自由に自分のあり方を決めていいことは、うれしいような気もする一方で、自分で選んだ訳でなくこの世に投げ出されてきたのに、選んだ自由の責任はすべて自分が負っている、「自由の刑」に処せられている、とも言います。

 こうしてわれわれは、われわれの背後にもまた前方にも、明白な価値の領域に、正当化のための理由も逃げ口上ももってはいないである。われわれは逃げ口上もなく孤独である。そのことを私は、人間は自由の刑に処せられていると表現したい。刑に処せられているというのは、人間は自分自身をつくったのではないからであり、しかも一面において自由であるのは、ひとたび世界の中に投げだされたからには、人間は自分のなすこと一切について責任があるからである。

 自由に選択した何かは、自分だけでなく、人類全体に自分が選んだものとして責任を負っているとも言うのです。例えば結婚という選択をすれば、人類に対する誓約、「私はこうしたし、こうすべきだと考えた!」と宣言したこと(「アンガージュマン engagement」)になるのです。
 もし私が結婚し、子供をつくることを望んだとしたら、たとえこの結婚がもっぱら私の境遇なり情熱なり欲望なりに基づくものであったとしても、私はそれによって、私自身だけでなく、人類全体を一夫一婦制の方向にアンガジェするのである。こうして私は、私自身に対し、そして万人に対して責任を負い、私の選ぶある人間像をつくりあげる。私を選ぶことによって私は人間を選ぶのである。
 サルトルの自由は背負うものが大きいのがわかります。学校で「自由には責任をともなう」ような話が出ることもあるでしょうが、サルトルの影響を受けています。一方で「あなたがそれを選んだ、選んだ責任をとりなさい」という自己責任論とも結びつきやすいことも指摘しておきます。
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