今回は江戸時代、庶民の思想をあつかいます。
 江戸時代、戦乱のない時期が続いたこともあって、庶民の中からも新しい思想が生まれてきます。元禄文化では、井原西鶴と近松門左衛門が代表です。西鶴は例えば『好色一代男』で、主人公の世之介が3743人の女性と725人の少年と戯れた浮世(現世)の生活を描きます。仏教や儒教の戒める欲望の解放です。しかし、その先に得られた心境は?ネタバレになるのでやめておきましょう。近松は『曾根崎心中』でが奉公先の主人がすすめる縁談を選ぶか、惹かれた遊女との恋心を選ぶか、これを「義理と人情」の葛藤としてを描き、人気を博しました。「義理と人情」のような、社会が求める要請や役割を選ぶか、自分の私的な気持ちや感情かを選ぶかの難しさは今でも無縁ではないでしょうが、これもこのくらいにしておきましょう。
 今回の中心は、石田梅岩、安藤昌益、二宮尊徳の3人です。
 石田梅岩は、それまで商人の営利活動は悪しきものとされてきましたが、「商人の商売の儲けは侍の俸禄と同じこと」、「商人が売買するのことは天下の助けである」と商人の利潤の追求を肯定しました。利潤の追求の肯定という点では江戸のマックス・ウェーバー、分業という点ではA・スミスです。ただあらゆる商業活動を肯定した訳ではなく、「先も立ち、我も立つ」ような、私欲のみではない「正直」と「倹約」に基づいた活動をすすめています。そういえばA・スミスも共感(sympathy)をともなった自由競争を主張していました。石田のキーワードは「正直」、「倹約」、そして彼が儒教、仏教、神道、を学び見出した一連の考え方、「心学(石門心学)」です。
 安藤昌益は東北地方の医者ですが、キーワードは「万人直耕」、「自然世」、「法世」です。恐らく東北で窮乏する農村の状態を目の当たりにしたのでしょう、武士のことを農民が耕作したものをむさぼる「不耕貪食の徒」と非難し、すべての人間が耕して自給する「万人直耕」の社会を目指します。このような社会が人間の本来の姿、「自然世」だと求め、逆に差別や搾取に満ちた社会は儒教や仏教、神道がつくりだし、放置した「法世」だと批判します。
 ちょっと寄り道しますが、「自然世」は「自然に帰れ」と述べたルソーのようです。また安藤は天地や男女のような対立し異質に見えるものが不可欠な関係として存在し、対立ではなく一体となって運動する「自然活真(互性活真)」と考えています。社会を運動として、弁証法のように捉える点ではこちらはまるでヘーゲルのようです。安藤は1703年生まれでルソーやヘーゲルより早く生まれていますし、鎖国中の東北です。こういう考え方がどうやって生まれてくるのか不思議というか、驚きです。情報も得られる知識も限られる時代にあって、何が安藤の思想をつくりあげたのか、もっとこの時代のことがわかればいいのに、と思います。
 二宮尊徳のキーワードは「天道」と「人道」、「分度」と「推譲」、「報徳思想」です。二宮によれば農業は日照や降雨など自然の営み「天道」と、田植えや雑草取りなど人間の営み「人道」が一体とならないと成り立ちません。人は天の恵みに感謝して、受けた恩に報いる必要があります。これが「報徳思想」です。ではどうすることが報徳なのか、二宮によると自身の経済力に応じた生活設計を行うこと(分度)と、倹約して余裕ができたら、将来のためや他者のために譲ること(推譲)の実践が報徳なのです。
 また寄り道してしまいますが、地元にいるとわかりませんが、都市の住民の間では自然や農業が関心を持たれ、わざわざ不便なキャンプや古民家も人気のようです。理由は明確ではありませんが、安藤や二宮が求めていた「自然世」や「人道」と関係するでしょうか。また「推譲」の考え方には現在の強欲グローバリズムのアンチテーゼも含まれ、sustainableな側面もあるでしょう。ではその「推譲」をどうやって現在のしくみや考え方に反映、落とし込むことができるのかは、難しい問題です。


No48表
No48裏