今回はキリスト教のうち、トマス・アクィナスを見ていきます。
 時期がだいぶ下り13世紀、イエスからは1300年近く、アウグスティヌスから800年近く経った頃のことです。それまでプラトン流の考え方(イデア≒一者)をしていた教会に、十字軍の影響で、イスラム世界で冷凍保存されていたアリストテレス哲学が逆輸入されます。すると細かく分類したアリストテレスですから、教会のこれまでの考え方を脅かします。
 そうした中でトマス・アクィナスはアリストテレス哲学を使いながら、信仰と理性の関係を整理しました。教会や修道院の付属の学校で研究が行われたので、スコラ哲学と言います。
 先ほど、教会はプラトン流の考え方をしていた、と述べました。プラトンはイデア界という「本当の」世界があって、人間は現象界にいながら「本当のこと」を想起したり、思慕したりする、と言う考え方でした。教会も似ています。「神の国」という完全な世界があって、人間は自己愛にあふれた「地上の国」にいて、神の恩寵によってのみ救われる、とアウグスティヌスたちは考えていました。そこへアリストテレス哲学が入ってくるのです。理性だけで十分ではないのか。
 ここでもおおざっぱに言います。トマス・アクィナスは人間の理性で到達できる問題と、信仰でしか到達できない問題を分け、両立するとしました。「信仰と理性は別のものだが調和し、矛盾しない」、「信仰は理性を破壊しないで完成させる」、「理性は信仰に奉仕する」という意味のことを述べています。こういう言い方をするとキリスト教徒の人には怒られてしまいますが、神学者であるアクィナスは、理性を信仰の中に取り込んだ、傘下に収めたとも言えます。ただ、近代に出てくるパスカルやデカルトたちも決して神を否定したりしません。理性によって自然界の法則を見出されるたびに、その精密な世界をつくった神の偉大さを讃え、理性による世界の探求の原動力にしていきます。
 出題としては、アウグスティヌスやトマス・アクィナスは難しく感じると思います。この単元こそ過去問にあたって、間違えて、また間違えて輪郭をハッキリさせていきましょう。
倫CS09表
倫CS09裏