高校 政経・倫政の補習講座

大学入試に向けた知識、学んだことと生活を結びつける知恵を提供します。

タグ:四苦八苦

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受験の時期にはどのような苦しみがあるのでしょう。

 幸い皆さんの先輩たちは卒業に際して後輩たちに向けてアンケートに答えてくれていますから、これから直面する苦しみや悩みが予想できるのです。
 あらかじめどんな心境になるのかを知っておけば、いざそうなった時に「おお、先輩が言っていたのはこういうことか」「聞いたことある苦しみ、来た来た」と備えておくことができます。少し紹介します。
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 「苦しい」という言葉に注目するとあちこちに見られます。そんなに苦しいのか、身構えてしまいます。どのような苦しみがあるのでしょうか。

 まず、「合格するかわからない苦しみ」があります。
 第1希望に合格すれば理想的ですが、第2、第3希望…それより上手くいかずに、本当は行きたくない許容範囲の学校ですら、合格するかわからない不安があります。
 ただ、この苦しみについては避けられません。むしろ苦しむ必要があると言えるかもしれません。なぜなら、逆に考えてみましょう。もし必ず受かるとわかっている入試だとしたら…、結果がわかっている入試なら…、受かった時の喜びはありません。
 大会やコンクール、資格試験と一緒で、結果がわからないからドキドキするし、クリアすれば嬉しい。結果が約束されているなら緊張も不安もないでしょう。
 現在、全国に大学が約770校、短大が320校、専門学校が2800校あります(2019年度時点)。定員割れしている大学も毎年200校前後ありますし、そのうち3分の1は定員充足率50%未満ですので、選り好みしなければ、少子化する日本、医学部医学科以外は必ず受かるところはあります。でも、必ず受かる学校しか受験しない人は稀です。なぜなのでしょう。
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 別のところでも書きましたが、就活の際や仕事の場面で大学で学んだことが直接いかせる職場は限られています。歯学科や薬学科などマストの学部・学科がいくつかありますが、それ以外はあまり関係ありませんし、世の中で活躍している人はどこの大学を出ているかの必然性はありません。にもかかわらず、受験生は自分の受験学力がギリギリ届くか届かないかの学校を志望していきます。
 なぜなのでしょうか。
 この問い、「なぜ受験生は、選ばなければ入学できる学校があるにも関わらず、ギリギリの学校を目指すのか」を考えていくと、皆さんの苦しみの原因もだいたい見えます。

 少しでも偏差値やランキングが高い大学に入学した方が就活の際に有利なのでしょうか。この就活については最近読んだ本に詳しく出ています。大学の難易度と社会に出たときの相関は、ある企業に入社しさえすれば「入社後の配属先には影響を与えるが昇進や昇給への影響は限定的」(小熊英二 『日本社会のしくみ』 講談社現代新書 2019年)のようです。しかし現実には人気校と不人気校が存在します。世界的な不況やウィルスの蔓延など大きな出来事があった時に大企業の方が安心、一方でその企業の採用基準は必ずしも透明ではありませんので難易度が高い人気校に入学すれば近道、と考えるのは無理もありません。正確な事実なのか過去の伝説が混じっているのかは断言できませんが、そう考える気持ちは理解できます。

 入試は限られたイスの数を争うイス取りゲームにたとえられることがあります。
とすると、同じ年に受験するクラスメートや浪人生は蹴落とさなくてはならない敵ということになります。定員が限られていますから、そういう面があるのは否定できません。けれど、目指している学部や学科は様々ですし、繰り返しになりますが、地方私大を中心に200校前後の大学が定員割れしています。どちらかというと、イス取りゲームというよりは走り高跳びに似ています。本番で自己ベストが跳べれば嬉しいですし、当然跳べると思っていた高さを失敗すればショックでしょう。誰もがインターハイ記録226㎝を目指しているわけではありません。自分が跳べるか跳べないか、それぞれのギリギリの高さを目指しています。受験科目は複数あるので、陸上の10種競技とか近代7種にたとえたほうが適切かもしれません。科目を減らすとより尖らないと総合力で損する点も似ています。受験の試験中、他人に邪魔されることはないわけですから、限られた試技回数の中で自分の力を表現する競技の方が近いといえます。蹴落とす必要はないのです。

 倫理の教科書に出てくる仏陀、ゴーダマ・シッダルタは、人生のすべては苦しみに他ならないのが真理、一切皆苦と呼びました。その上で人生で避けることができない苦しみの種類を主に8つあげています。四苦八苦です。

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 では四苦八苦する原因は何か。仏陀があげているのは欲望への「執着」です。執着がなければ苦しむことはない。欲望への執着をなくせば涅槃の安らかな境地へたどりつける、と説いていきます。
 受験に合格したい、という思いは執着に違いありません。「合格すれば○○できる」の○○の中に入る言葉は、遊べる、就職を優位にできる、勉強から解放される、好きな勉強を思う存分できる、安定した人生の入口に立てる、親を安心させられる、自慢できる、等々いろいろあるでしょうが、間違いなく執着です。ただこれは受験に限ったことではありません。人間生活や人類の歴史もまた欲望や執着があって許せないことや悲しいことが起きていますが、一方で進歩したり喜びを生んでいます。この執着を捨てることは中々できない。悟ることは難しい。ゴーダマだって悟るまでに6年間くらいかかっていますから。
 受験生の多くがギリギリ受かるかどうかの学校を目指すのも、仏陀から見れば何らかの執着に関係していますが、少なくとも、あなたが合格しても誰かを傷つけたり、困らせているわけではありません。あなたが定員分の1を占めたことで、その1人分、誰かが定員には入れないことはありえますが、それは受験上の実力です。
 「合格するかわからない苦しみ」は受験の醍醐味です。喜びと裏表です。結果がどうなるかばかり気にしていても合格は近づいてきませんし、誰よりも強く祈っている人が合格する訳でもありません。目の前にある課題、受験勉強そのものに取り組むしかない。
 よってこの苦しみにはきちんと向き合ってほしいですし、仮に向き合いきれずにこのまま行きたくない学校へ進むのが嫌なら、もう一度やり直す、浪人すればいい。
 「合格するかわからない苦しみ」に近いものとして、数学ができない苦しみ、現代文の小説が解けない苦しみなど、教科上の出来、不出来によるものがあるでしょう。それについては教科の先生に聞いて下さい。そもそも苦手科目に時間を費やしているでしょうか。今回は苦しみに入れません。
 今回、皆さんに伝えたいのは、いま見てきた「合格するかわからない苦しみ」以外の、次のような苦しみについてです。

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 これで受験上の苦しみのすべてを網羅しているとは思っていませんが、上の3つのような苦しみに嘆いている姿を見かけます。他の苦しみもあるかもしれません。苦しみのスペシャリストは前述したゴーダマ・シッダルタです。彼は苦しみを追求して、王子の地位や家族を捨てて出家してしまったくらいですから。もっとたくさんの苦しみを知りたい人は、弟子たちが仏陀の言葉をまとめた最古の聖典、スッタニパータ(中村 元 『ブッダの言葉』 岩波文庫 1984年)を読んでみて下さい。
 それぞれ順番に見ていきますが、③の人生に意味を見出せない苦しみ、そういう苦しみを抱えている必要な人だけが見るようにしましょう。

今回の単元は仏教です。
仏教の用語は聞いたことのあるものが多いので、それぞれの意味は区別はできます。ただその分、問われる内容は深入りしていますし、また用語と用語の関係、つながりがわかりにくいのが特徴です。

早めに用語を定着させて、多くの問題を解くのが早道です。

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