高校 政経・倫政の補習講座

大学入試に向けた知識、学んだことと生活を結びつける知恵を提供します。

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 今回はヘーゲルを見ます。
 ドイツ観念論を大成したのがヘーゲル、彼はカントを批判します。カントの述べた自律、人格、目的の王国は確かに理想的です。人類全員が同じような考え方をしていれば世界は平和になるでしょう。その意味でカントは一つの星であり到達点です。しかしヘーゲルは不満でした。カントの理想は現実の中に落としこまれていない、「各人で心がけましょう」と述べたに過ぎず、現実社会のあり方を変えない、という批判です。
 ヘーゲルにとっては、現実の社会制度や歴史の中に理性は含まれています。ちょうど人類の歴史が段々と自由を実現する過程であったように。そのあと少し抽象的というか、違和感がありますが、その歴史を動かしているものが「絶対精神(歴史の上では世界精神)」だと言うのです。「絶対精神」という何か神のようなものを想定する点が、スッキリしません。なぜなら、私たち個人個人も絶対精神に突き動かされているということになるからです。そのスッキリしない点は置いておくとして、ただ、こうやって歴史や現実の中に、理想や理念が入り込んでいて、運動し進歩することを示しました。理性と現実、個人と社会や歴史を結びつけたのです。
 続いては弁証法です。彼の弁証法(正・反・合)は、用語に慣れるまではとっつきにくいですが、私たちも使っています。何か自分のそれまでとは正反対の意見に接して、それまでの自分の意見でもなく、正反対の意見でもなく、双方を生かした新しい考え方ができていくような出来事です。英語のディベートで賛成と反対の立場で主張しあった末に、新しい知見が見出せた時がわかりやすい弁証法です。自分とは違う考え方と接し、そこに粘り強く向き合うことで新しい自分が開かれる経験はきっと誰にでもあるでしょう。というかアンチテーゼと向き合わないと、新しい自分になっていかないような気さえします。そもそもその姿勢はソクラテスが持っていました。のちの単元に出てくるアーレントはそれらの姿勢が失われたことがナチスドイツのような全体主義の起源になったと述べます。
 ヘーゲルは弁証法を使ってあるべき社会制度を考えます。「家族」は丁寧に扱われて認めてくれるけど、自立性や独立性に乏しい。これをテーゼとして、アンチテーゼは「市民社会」です。「市民社会」は独立性はあってもバラバラで欲望のまま、「人倫」が失われている。これを止揚してジンテーゼは「国家」です。「国家」において、家族の非独立性や市民社会の不平等が克服され、真の自由が生まれる、とヘーゲルは考えました。
 こうやってヘーゲルは自由という理想、理念を現実に落とし込んでいきます。理にかなったものは現実になるのだから、現実は理にかなっているのです。
 理性的なものこそ現実的であり、現実的なものこそ理性的である」(『法の哲学』)
 俯瞰します。世の中は変わらなくてはならないことが山ほどあります。しかし否定したい現実の中にも理がある、現実として成り立っている理由があります。それを無視して変えていくことは難しい。一方で現実には理があるのだから変える必要がない、とも言えません。理性が変わらなくてはならないと考えているからです。ちょっと抽象的になりました。
 2次や個別入試で是非を問う出題あった時や、そもそもものごとを考える時、弁証法は使えます。

倫CS25表
倫CS25裏

 今回の単元は、ドイツ観念論の大成者ヘーゲルと、イギリスの自由主義、功利主義の先駆であるA・スミスを理解します。
 ヘーゲルはすべてをのみこむ弁証法を、あらゆるもの、ひいては歴史にも持ち込むことに特徴があります。いくつか独特の用語を使いますが、歴史がまるで生きているかのように、自由が実現する過程と見ています。その独特の用語の意味を理解するのがポイントです。
 スミスは「見えざる手」によって各人が利益を追求すれば、社会に幸福をもたらす、宣言した点が特徴です。現代の新自由主義につながっていきます。スミスは自由な利益の追求の前提として、人々の「共感」を置いていましたが、現在は「共感」が抜けたままの自由が大きくなっています。

 弁証法は小論文を書く際やディベートにも使えます。

16ヘーゲル、スミス
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