今回は、大学に進学することの意味やメリットを見ていきましょう。

 前回、大学でしか学べない知識や情報は多くないという指摘を見てきました(大学へ行くべきか迷う人へ その1)。大ざっぱに整理すると次のようになりました。


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 今回は「大学へ行った方がよい」という主張を見ていきます。
 
一見役に立たないことにも価値がある。

 職業と学科が結びついたマストの職業をしている人や研究者などの一部の仕事はちょっと別ですが、大多数は大学で学んだことは職業、仕事に直接の役には立ちません。

 ところが、大学生というものを経験した人のほとんどが「でも大学生活には大きな意味はあった」と考えています。その「大きな意味」とは人によって違いますが、自分や他者に対する見方や人間関係に関わることを学んだからです。これらは知識や情報とは違います。時間があったゆえに無駄というか、回り道して得たものがあるのです。

 大学生でyoutubeやブログをしていて、たくさんのフォロワーや熱心な読者がいるケースがあります。彼らが伝えているのは大学の授業で学んだことや実用的な知識ではなく、授業外での誰かとの出会い、旅先で考えたこと、自分を成長させた出来事について表現しています。

 また狭い世界で恐縮ですが、授業中、先生方が自分の経験を話すことがあるでしょう。雑談です。一見くだらない、無駄とみなせることもできますが、概して生徒さんへ伝える知識に立体感を与えたり、やる気を引き出していて、雑談の方が印象に残っているくらいです。授業中でなくても構いません。ある先生は学生時代にオートバイで全国を走り回っていた、ある先生はライブハウスで歌っていた、劇団に所属して公演していた、それは大きな無駄です。きっと、その先生の親も当時は心配したでしょう。でもその無駄がなかったらその人独特の個性も生まれなかったはずです。生徒に、詳しく、効率よく知識を伝える技術は必要でしょうが、それだけを学んできた教員がよいとは限らないのではないでしょうか。では「何がよい教員の要素なのか」、これについては深入りしませんが、どのような職業であっても知識や情報、技術以外の、抽象的な表現ですが、幅や広さや温かみが「こういう人と一緒に仕事をしたいな」とか「欠かせない人だな」を生んではいないでしょうか。

 無駄なことをするには、専門学校や短大では時間が足りないのです。

 もちろん反論もできます。「大学時代よりも就職したあとの方が時間が長いのだから、働きながら幅や広さを身につけることは可能ではないか」という反論です。それは可能です。可能ですし、学歴にかかわらず、否応なしに入っていった業界に染まっていき、それまでの自己はどういう方向になるにせよ、変わっていかざるを得ないでしょう。ただ、オートバイで1ヶ月かけて全国を回るような無駄、若いがゆえにできる無駄ができるかというと、多くの職場では簡単ではないと思います。
 

 就職しやすいし、望んでいる仕事に就きやすい。 

 高卒からでも大卒からでも就ける仕事があります。看護師や警察官、保育士などが代表的です。次の図は看護師になるための道筋です。  


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看護師になるためには複数の方法があり、高卒でも大卒でもよいことがわかります。ちなみに教員の世界でも高卒でもなれる職種や、高卒でも小学校教員資格認定試験という一発試験があります。

 大学の看護学科に受からなかった場合に、看護系の短大や専門学校に進学する例はたくさんありますし、警察官の方は採用試験で大卒枠の類で合格するのは倍率が厳しいので、高卒でも受験できる類で合格し警察官になっていく大卒の人がいます。面接練習をしていると「技術が信頼されるだけでなく患者さんの気持ちをくめるような看護師に」とか「住民の安全を守ることはもちろん、よろず相談の相手になれるような警察官に」と気持ちを教えてくれて、頼もしく感じます。学歴にかかわらず、患者や被害者にとってはプロの一人、いずれも現場においては看護師や警察官としてやりがいを感じながら仕事をしていくんだと思います。

 看護師の場合はお給料、賃金も大卒でも高卒でも大きな違いはなく、月に1万円も違わず、むしろ夜勤による手当の方が収入に違いをもたらすといいます。

 では、これらの仕事の大卒のメリットは何でしょうか。なぜ高卒でも就くことができるのに大卒の人が存在するのでしょうか。

 まずは、管理部門への可能性の違いです。俗にいう出世の可能性です。若い今はそんなことはあまり考えないでしょうし、患者さんや被害者さんに頼りにされることの方が確かに大切ですが、年を取ったり、周囲から求められて管理職や指導する側になろうと考えた際には大卒の方が容易です。

 他にも看護師でいえば求められる技能が高度化、専門化していることがあげられます。看護師に求められる役割は増えていて、従来の助産師や保健師だけではなく、専門看護師、認定看護師、認定看護管理者、訪問看護師など、外からは見えにくいような資格が増えています。これらの資格を取る際には、知識や技能面、仕事との両立を考えても大卒や大学院卒の方が取りやすい面があるようです。

 

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 これらの、高卒からでも大卒からでも慣れる仕事の実際面は、ネットで得られる情報は十分ではありません。公の機関のHPは実態や本音がわからず、個人のHPや私のこういうブログは信用度が低い。

 それよりも病院や保育所、警察署に電話してしまう方法もあります。「○○と申しますが、進路で迷っているんですけど、大卒の保育士さんと話をすることはできますか」、「大卒で三種で警察官をやられている方に伺いたいことがあるんですが」、もちろん忙しくて断られるところや時間帯もあるでしょうが、話を聞いてくれるところ、人はいます。直接現場に電話するのがためらわれるなら、県警の広報、県看護協会やナースセンターなどに問い合わせてみましょう。大切な進路選択ですから、遠慮せずに動いていいんです。


 逆に、世の中には、大卒でないと就けない仕事や職業があります。

 資料は人気企業ランキングで上位に来る企業の求人欄です。見てみると、採用試験に応募する条件として、大卒に限定しているか「同程度の学力」が求められています。

  

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 「厳格な条件ではないにせよ、『原則大卒じゃないと』『大卒が前提』という暗黙の了解がある場合は、大卒者でなければまずシャットアウトされてしまいます。」

   

 「そして、『原則大卒じゃないと』『大卒が前提』という仕事や職業は、概して労働条件のいい、働く側に易しい仕事や職業であることが多いのです。」

(浦坂純子 『なぜ「大学は出ておきなさい」と言われるのか』 2009年 洋泉社)

  大学で学んだことは、直接は仕事に役に立たないことが多いにもかかわらず、です。なぜ応募条件が大卒に限定されているのでしょうか。実力があれば高卒だろうが、大卒だろうが関係ないような気もします。

 雇う側から考えてみましょう。採用担当者が時間や費用をかけて、学生一人一人の実力を調べるのは容易ではありません。学生は就職活動用に表現を仕上げてきますので、見抜くことは更に難しい。人気企業であれば大卒だけでも希望者はウジャウジャいるので、なおさらです。雇う側がかけられるコスト、時間や費用には限りがあるため、大卒から採用ということになるのです。大卒から採る意味について先ほどの筆者の浦沢氏は、次のように2つあるといいます。 


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 このように雇う側は、大卒の方が学生時代に力を付けたはずと考える「人的資本論」や、少なくとも大学入試を突破するだけの力を持っていると考える「シグナリング理論」等の考え方に基づいて、またそうした考え方で今まで新規採用してきて、おおむねうまくいっているという経験から採用方法を決めている、というのです。そうなると高卒や専門学校卒、短大卒は門前払い、就職試験を受けるチャンスさえありません。 

 本来そうあるべきかはわかりません。企業は手間暇やコストをかけて大卒だろうが、高卒だろうが一人一人の「実力」を見極めるべきだという考え方も理解はできます。理解はできますが、例えばある友人やクラスメートの「実力」はどのくらいの時間があれば判定できるでしょうか。私たち教員は生徒さんを評価する場面がありますが、担任として各教科からの成績をもらったり、部活動の顧問からのエピソードや文化祭などの行事の場面で、ある生徒について知らなかった、意外な面に気付かされることがたくさんあります。1年間かけても評価しきれないくらいです。「実力」のうちのある部分はわかるかもしれませんが、あくまで部分にとどまるでしょう。ある人の「実力」を見極めるのは難しいのです。

 また、科目「政治・経済」で学んだ人もいるでしょうが、私企業がどんな人を採用するかは私人間(しじんかん)といって、各企業と雇われる側の契約、採用方法は事実上、企業側に任されています。
 例えます。あなたの結婚披露宴に元クラスメート全員は呼ばないでしょう。席に限りがあるので限られた友人だけを呼ぶことになります。このことで呼ばれなかった元クラスメートが「差別を受けた」と主張することはできません。誰を招待するのかはあなたの側に任されています。「私人間」とはそれと同じです。極端に言えばある企業が「大卒からしか採用しない」とか「A大学とB大学からしか採用しない」とすることは、公的機関が行えば明らかな差別ですが、私企業がおこなっても憲法の平等権には反するとは限りません。雇う側の自由、経済活動の自由なのです。

 賃金が高い。

 次の資料は、生涯賃金を示しています。

 

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 数字は就職先の規模にもよりますし、大卒なら就職が約束されるわけでありません。またこの傾向が今後も続くのかもわかりません。が、平均すればこのような違いになります。

 傾向としては大卒と短大(専門学校)卒では男女とも約4000万円近い差があります。高卒なら早くから働きはじめて収入が得られ、また、学費や生活費などの支出も抑えられます。しかし、現在の統計ではトータルでは逆転します。この生涯賃金の差は、逆に言えば大学へ行くのにお金がかかるといっても、そのかかったお金が4000万円以内なら元が取れる、いずれは逆転する、と計算上は言えるわけです。

 繰り返しますが、この差は就職先の規模や職種によるのであなたが4年制大学を出たからといって約束されるわけはありませんし、専門学校卒なら賃金はここまでと上限が定められているわけでもありません。先ほどあげた「大卒でなくて活躍している人」のなかにも、宇宙旅行をしたり、彼とのお見合いの申し込みに2万人以上集まった資産家もいました。あくまで一般的な傾向です。  

 とはいえ、人は給料のためだけに働くのではありません。次の図は「働く目的の三本柱」。人が働く時、どれを重視するか比重は人によって異なっているとしても、その目的は主に3つあることを示しています。あなたはどれを重視するでしょうか。

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 世論調査では、日本では3つのうちどれが重視されているのか、下の図のようになっています。


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 帯グラフ中の右側、「自分の才能や能力を発揮するために働く」と「生きがいをみつけるために働く」の2項目が上の三本柱の「生きがいや自分を活かすため」にあたります。 

 この国では、多くの人はこのように考えているわけです。約半数がお金を得るためと考えていて、意外と多い印象を受けます。
 

 すこし回り道します。三大宗教は、お金に関して次のように説いています。

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いずれもお金を目的にすることを戒めています。
 三大宗教とは信者の数ではなくて、発生した場所を越えて世界へ広がっている世界宗教を指しますから、広がるだけの理由を持っているはずでしょうし、現代でも各人のアイデンティティの形成やいくつかの国の政策へ影響を与えています。三大宗教いずれもがお金を目的に暮らすことを戒め、分け与えたり、お金に執着することなく慎ましく暮らすことを求めています。逆に言えばそれだけお金の力が強いことも示していますが、人間生活とお金の関係は古くから濃い課題があることをうかがわせます。
 

 多くの漫画やアニメでは、お金に執着するのは悪者、というか主人公に敵対するキャラクターとして配置されます。主人公はお金を目的には活躍しない、どうやって生活しているのか不明なほど、お金のにおいがしない位置づけがされています。 

 例外的なキャラクターもいます。ルパン三世やルフィがそうです。泥棒と海賊ですから。しかし彼らもお金そのものに執着しているというよりは、困難を乗り越えることがテーマになっている気がしています。

  

 お金への執着が、悪のイメージで扱われていることがわかりました。では、お金のために働くことは、よくないことなのでしょうか。お金は手段であって目的ではなく、お金より大事なことがあるのは間違いありません。お金と働くことの関係について、ある人は次のように指摘しています。

 「お金に余裕がないと、日常のささいなことがぜんぶ衝突のタネになる。食べたり着たりどこかへ行ったり、そういう生活のひとつひとつのことにぜんぶお金が関わってくるからね。お金がないと、生活の場面のいちいちでどうしても衝突が避けられない。

     それも何十万、何百万って話じゃない。何万円、何千円の話で激しいいさかいをする。たったそれっぽっちの金額でののしり合う、この情けなさが、わかる?」

   

 「子どもたちは、何日も風呂に入れてもらってないから、垢(あか)でうすよごれて真っ黒。笑うと虫歯で歯がないし、服もよれよれ。歯医者に行かせる余裕なんかあるわけないし、服もおさがりの、おさがりの、そのまたおさがりで。…(中略)…ないけど、ないままってわけにもいかないってことで、手癖は悪いは、デビューは早いわ、先を争うようにして不良になっちゃう。」

     

『いちばんほしいもの』がお菓子だった子どもも、ちょっと大きくなると、女の子なら服や化粧品になる。気に入った服を試着したまま、店から出てきちゃうわ、化粧品も『これ、試供品だから』ってごっそり持って帰ってきちゃうわ。

   男の子なら、ガソリンを盗んだり、シンナーを盗んだりは朝飯前。ガソリンはもちろん、よその車からの『おすそわけ』。誰かが見張りに立って、別の誰かが知らない人の車の給油口にゴムホースやチューブを突っ込む。で、ストローみたいにして、口でキューキュー吸い出すの、ガソリンを先輩の車にそうやって燃料を調達したら、それを乗り回して朝まで遊ぶ。」

       (西原理恵子 『この世で一番大事な「カネ」の話』 2008年 理論社)

  国内の貧困は見えづらい側面もありますが、この著作が発行されたのは2008年、筆者が幼少期、おそらく1970年代を振り返った記述です。少し古く感じるかもしれませんが、このようなお金がないことによる子どもたちへの影響は、今も昔も変わりません。ちょうど2008年はリーマン・ショック、世界金融危機がおきた年で、この不況の影響は今もあって、国内の貧困率が上昇、少年犯罪や児童虐待、育児放棄やこども食堂などの現象につながっています。身近にも「家は経済的に厳しいので修学旅行には行けません」とか「進学することは経済的に無理です」という家庭は確実に存在し、そこでは子どもは「負担」と位置づけられてしまうことがあるのです。 

 こうしてみてくると、「お金なんて関係ない!」と言えるのは、もしかしたら、そう言っている人の状況や境遇が、お金に関して深刻には困っていない、「お金なんて関係ない!」と言える程度にはある、という可能性が高いです。お金以外に大切なことがあるのは間違いありませんが、お金も大事なのです。


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 大学に進学すべきかどうか、見てきました。あるHPを参考にもう一度、専門学校との比較を整理して載せておきます。

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こうして見てくると、「大学へ進学すべきか」を考えることは、ここから何年間かの進路選択にとどまらず、社会に出て「活躍する」とはどういうことか、人は何のために働くのか、お金に関してどう考えたらいいか、など簡単に答えが出ない問いとも関わることがわかります。進路を選ぶことはたいへんな決断です。と述べつつ、矛盾するようですが、でも損をしたって生きていける、何とかなるさ、とも思います。 

  筆者自身は大卒ですので「大学に行く必要があるのか」、フェアに記述できたかはわかりませんし、あなたの納得いく答えに近づいたのかもわかりませんが、進路選択に参考になることがあったら嬉しいです。