今回は、明治の近代化を反省し、伝統を再発見した思想を見ていきます。

 人物で言うと、柳田国男、折口信夫、南方熊楠(みなかた・くまぐす)、伊波普猷(いは・ふゆう)らになります。
 柳田のキーワードは「常民」、「習俗」、「新国学」です。近代化によって、かえりみられることのなかった普通の人々=「常民」の日常生活に光をあてました。「日本には平民の歴史は無いと思っております。‥貴人と英傑の列伝を組み合わせたようなものがいわば昔の歴史ではありませんか」。
 倫理や倫政ともう一科目の選択を、歴史にしている人が多いと思いますが、確かに歴史は、影響の大きかった(と考えられている)出来事や人が取捨選択され、取り上げられます。方法は文献や絵図、遺物などの歴史資料をもとにして一般化できることを見出そうとします。またそういうものだと私たちは考えがちです。しかし、柳田はそうやって一般化したり、選択されることによって失われる「常民」の思いを汲みあげようとしました。方法は伝説、信仰、歌謡など「文字以外の形を持って伝わってくる」材料=「習俗」です。主著『遠野物語』には、天狗や河童、座敷童子などが登場しますが、それらには常民の世界や共有したい思いが詰め込まれているというのです。こうして、従来の歴史とは異なる学問分野が生まれました。民俗学(folklore)と言います。民俗学は外来文化が伝わる以前の生活をとらえ直す面があるので、柳田や折口は自分たちの営みを新しい国学、「新国学」とも呼んでいます。
 折口信夫のキーワードは「常世(とこよ)」、「客人(まれびと)」です。柳田から教えを受けた折口信夫は、日本における神の原型は、海の彼方の理想郷、「常世」から定期的に訪れる「客人」だと考えました。獅子舞やナマハゲなどを想定するとわかりやすいでしょう。少し細かいですが、柳田の神は、近くの山や小高い丘や森からやってきます。常世から来ると考えた折口とは見解が異なります。
 南方熊楠は生物学者です。粘菌という植物と動物の境界にあるような生物を研究し、粘菌を調べることによって生命の原初形態や生物の全体像を見出そうとします。1906年、政府は人々の信仰を国家神道に向け、さらに高まる木材需要を満たすために、地域の小さな神社や祠を壊し、神社は1町村につき1社に整理する政策をとろうとします。これに南方は反対します。「さて木乱伐しおわり、日の人々去るあとは戦争後のごとく、村に木もなく、神森もなく、何にもなく、ただただ荒れ果つるのみ」。開発や国家の政策が、地域や生物、環境に与える影響を警告し、生態学(エコロジー)や自然保護運動の先駆けとして評価されています。
 伊波普猷は言語学者で「沖縄学の父」とも呼ばれます。近代化を進める政府にとって沖縄は、独自の言葉や習俗が残っていたが故に、遅れた場所として扱われていました。伊波は琉球の古典、『おもろさうし』から琉球人の生活世界を明らかにしようとしました。
 教科書には出ていないことが多いですが、知里真志保(ちり・ましほ)というアイヌ出身の言語学者がいます。彼もまた伊波と同じように、アイヌ語という言葉の中にある独自の精神世界を明らかにしようとしました。「同じように」と今述べましたが、この「同じように」と考えてしまう発想自体が、伊波や知里が「おかしい」と考えていたものに違いありません。
 このように、近代国家建設の過程で脇に追いやられていたものが、戦前にも気づかれていました。メインな学問、法則や一般化、中央への志向は現在もまだ続いています。いや、何となくコロナ禍を経たからなのか、少し違う志向もまた目に付くようになってきています。今回扱った人物については、岩波ジュニア新書、鹿野政直『近代社会と格闘した思想家たち』にわかりやすく紹介されています。今読むのは難しいかもしれませんが、大学に入学したらオススメです。
page011
page012
page013
page014